旅行の顛末は別ブログに5回に渡って記したとおりだが、これはその後書きである。
そんなものはあちらに書くのが道理ではあるが、
旅行記として出すべきことは出し尽くしてしまった。
向こうに書くには味気ないような書きそびれを、こちらに記そうと思う。
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いわゆる「タイショック」が大嫌いだった。
私は平沢進アーティスト人生の一大転機「タイショック」で
振り落とされたファンの中の一人である。
解凍P-MODELの2枚と94年ソロアルバム「AURORA」、
それに第一期DIW/SYUNの作品群は、いずれもど真ん中ストライクで
何度も繰り返し聞き、歌詞カードもボロボロになるまで読んだが、
95年に入ってからのリリース作品はまったく肌に合わなかった。
メンバーお披露目を見に大阪ライブにまで駆けつけた
改訂P-MODELも肩透かしを食らった印象だったし、
AURORA路線の発展を期待したソロNEWアルバム「Sim City」は
前作とはまるで違う灼熱と湿気を伴った作風に面食らったものだ。
ほどなく別の趣味にハマった頃にはP-平沢の新譜が出ても買うこともなく、
たまにはP-MODELでも見ようかとライブチケットを買うも
会場まで行く気が起こらずに無駄にしたことも何度かあった。
P-MODELを積極的に聞かずにいたのは2年間ほどのことだったか。
その後、再びP-MODELの新譜を聞き始めて、
改めてP-MODELや平沢ソロに心酔して今に至るが、
それでもタイショック当時の作品は好きになれずに敬遠しがちだった。
もちろん、20年に渡って最も好きなミュージシャンの作品だから
まったく聞かないということはなかったが、
他の作品に比べて再生を選ぶ機会が少なかったのは確かだ。
同様にSP-2に関する記述も真剣に目を通さずにいたし、
書籍「SP-2」も購入以来、熟読まではせずにいた。
タイという国とSP-2を毛嫌いしてるわけではない。
タイ料理は全般的に好きだし、ムエタイにも興味があった。
しかし、平沢作品との結びつきがどうしても理解できなかった。
思えば解凍P-MODELとAURORA路線からの急転回に対して
どこか裏切られた思いがあったのだろう。
あまりの青さに今となっては赤面してしまう。
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私個人の中で平沢作品とSP-2のピースがはまり、
一人で合点がいったのは、どちらかといえばつい最近だ。
2chの平沢歌詞解読スレで遊んでたときのこと、
ライブ「シュート・ザ・モンスター」のフライヤーに書かれてた一節の話題から
幻のアルバム「モンスター」のテーマである「原初の混沌とした女性性」について、
いくつかの資料を紐解いて解説文をまとめたが、それの最後に、
> P-MODELで女性性の表現を成し得ずに終わった数年後、
> 男も女も飛び越したSP-2という存在と出逢い
> その後のライフテーマになるほど彼女達から
> インスパイアされたのは必然だった。
という一文をなにげなくタイプした時、
自分の中のタイショックに対するトゲがすべて抜けた思いだった。
今でも思い出すが、そんなサゲにするつもりで
頭でっかちに考えて書き進めた文章ではない。
あのサゲは自分がそれまでに読んだ数多くのP-MODEL資料を咀嚼しながら
モンスターという怪物を解き明かそうと無謀な闘いを挑んだ上で
最後に天から降りてきたような、そんな不思議なものだ。
書籍「SP-2」を熟読したのは恥ずかしいことに数年前だ。
あの布張りの豪華な装丁は私の読書スタイルに向いておらず、
ドキュメントスキャナを入手したのを機に蛮勇を奮って裁断し、
電子書籍に自炊してタブレットに入れたことで、ようやく読む環境が整った。
もう10年近くまえの書籍なのでネタバレもなにも気にせず書くが、
「母よ。死刑台のダーゴンファイ」の文中で
女性性について触れる場面に差し掛かった時は、
あながち的外れでもなかったと確信すると同時に激しく後悔した。
これをしっかり先に読んでたらあんな文章、こっ恥ずかしくて書けない。
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さて、実際にバンコクの街を歩き、SP-2ショウを見に行って
感じたことのすべてはあちらにまとめたとおりである。
付け加えるならば、SP-2については
「天女から山姥まで」の多面的で巨大な女性性の表情を、
一端でも身をもって体験できたのは、いろんな意味でも貴重な体験だった。
これが平沢さんの庇護の元で開催される点検隊などのイベントならば
平沢さんの監視が光る中で山姥的な側面はほとんど見せないだろう。
持っていかれた現金はそれなりのものだったが、
代わりに平沢さんの庇護のもとではあまり見せぬ側面も覗き見えた。
そういう点でこちらにも実入りのある取引ができた、と今は思う。
タイに行くことが決まった頃からタイショック作品群、
SimCityやSIRENに舟、コレクティブエラー、クンメーなどを集中して聞いた。
帰った今でも、繰り返し好んで聞いている。
あんなに私の肌には合わなかった作品だったのに、
旅行の体験を経て、タイやSP-2の質感がリアルな情景を伴うようになり、
ようやく当時の平沢さんの衝動がどんなものだったのか、沁み始めてる。
やはり百聞は一見にしかず、ということわざ通りなのだろうか。
腑に落ちるのに20年かかったが、良い作品と実感できて儲けものだ。
パスポートも入手したことだし、また機会を作ってバンコクに行きたい。妻の試算では20万もあれば二人で楽しく旅行できるだろうとのこと。
タイに限らず別の国も面白そうだ。
人生も後半戦にさしかかったことだし、動ける機会を逃さず遊ぼう。