2016年5月31日火曜日

熱湯で数分茹でて戻すべし

日記っぽいものをやるためにこの場所を借りました。
こういうの何年ぶりだろか。

この数年、ツイッターを日記代わりに日々の備忘録として使っておりまして。
あの手軽さと速報性は、何者にも代えがたいものがあるのはご承知の通り。
しかし、アーカイブとしての機能は絶望的なまでに成し得ない、と
やはり結論付けなきゃならないのが実感です。
どんなライブを見て何がかっこよかったんだっけ。
あの落語家の高座はどんなところが面白くて感じ入ったっけ。
天気が良かったあの日はどこまで走って何を見たっけ。
誰それとどんなことをして過ごして楽しかったんだっけかな。


加えて、ツイッターの特性上、速報性に長けている反面、
熟考して考えをまとめることが昔に比べて不得手になった気がします。
インプット系情報収集の目的においては
速報性と簡便性の点で屈指のツールだけど、
アウトプットに至っては思考の蛇口の垂れ流しでしかなかった。
私にとってツイッターでの発信発言ってのは
あまり向いてないツールなんだと痛く思いました。
要所を捉えて簡潔かつ迅速に発言するのが苦手なんだろな。
大喜利苦手です。
それでも数年間はトレーニングのつもりでツイートしてましたが、
自分がなにか表現するんだったら、ツイッターのような速度感重視よりも、
もうちょっと貯めこんでこねくり回してから外に吐き出してたほうが
(比較的)まだマシなものが表せたような気がしてきた。


ツイッターの限界については、始めた頃からなんとなーく気づいてたり、
(数年前にちょっとまとめてみたり)
稼働中のブログは持ってるけど、あまりに限定的な対象を扱ってるから
そこから外れる衝動をまとめることができずに地団駄踏んだり。
(むりやり書いて失笑を買ったり)
なんか、ずーっと長い間、違和感を抱えながら馴染むことなく
ツイッターに取り憑いてた気がしてたので
長文書いて記録できる場所にアウトプットの方向を傾けます。
でもツイッターをすぐやめるのはなんだかもったいないので
(指向性を持たせた情報収集にはこれ以上ないツールですし)
脊髄反射的ツイートや、他人様に情報バトンを渡すツイートはそのままに、
なにかの感想とかちょっと熟考する記録のようなのはこっちに流して。
個人的にはリハビリ感覚なんですが、このまま乾いちゃうのも悪くない。
どうぞ引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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