2016年9月21日水曜日

キクをミル / 映画「聲の形」

映画「聲の形」を見た。
アニメけいおんシリーズ・たまこまーけっと・
たまこラブストーリーを手掛けた山田尚子監督の最新作で、
原作も週刊少年マガジン連載時に話題となった作品である。
映画化のニュースとスタッフ発表以来、封切りを心待ちにしていた。
しかし上映開始と仕事のスケジュールがうまく合わず、
間隙を縫って初日土曜のレイトショーに駆けつけたが、
初見では多数のエピソードを整理しきれずに表面的な感想ばかり生まれる始末。
それと同時に再び見たいという衝動と、
モヤモヤした思いを自分なりに消化したいと直感したので、
日を改めて再鑑賞する機会を伺っていた。
以下、映画本編を見た後の感想置き場につき
未見の方はネタバレ注意。



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この作品は主人公・石田将也の一人称を中心として進む。
主な会話の相手役としてヒロイン・西宮硝子の妹である結弦や、
狂言回しとして友人・永束が絡んでくるが、
感情面の表現や話の筋道は将也の心が決めて流れる話である。
だからメインストーリーも将也のものであり、
彼と関わる登場人物の印象も将也から見たそれであり、
物語の結末もご覧のとおりの帰結点になる。
原作はまだ読んでいないが、それが単行本7巻に及ぶエピソードから
エッセンスを抽出して2時間強の作品に再構成した
製作スタッフの指針の一つだったのだろう。
もちろんその通りに「将也の罪と罰、成長と救済の物語」として見ても
満足のいく作品だが、それ以上にメインビジュアルに描かれた
将也を含む8人による「不器用な子ども達の青春群像劇」として捉えた方が
より本質的ではないかとも思わせた。


二度目の鑑賞では将也以外の登場人物、
特に主人公の相手役として重要なポジションでありながら、
主人公に感情移入して見ていると行動意図が分からなくなりがちな
硝子と小学校時代の同級生・植野の二人が、
どのような意図で動き、演技しているかを注視した。
すると初回鑑賞で感じた様々な疑問に対する回答が
繊細な演技と演出で表現されていたのに次々と気づいてきた。

前半~中盤での硝子が告白に至るまでの心の揺らぎや、
硝子がその場面で頑なに口語会話を求めた理由、
さらにそこから後半~終盤へと続く硝子の思考と行動と選択。
また、小学生~高校生の植野が抱える硝子に対する苛立ちや感情、
時として激高する行動の理由など、最初からちゃんと描かれていたのだ。
初回ではそれらのサインを見落としていた、
というよりも、情報の波に紛れ込ませて目立たなくする細工が
意図的になされていたと感じた。

つまり、すべての意図を輪郭つけて描くと平坦なものになってしまうが、
優先順位をつけてメリハリ利かせて一つの筋道を明確に表しながら、
しかし描くべきものはしっかりと潜ませておくことで
立体感のある作劇に仕上がる。
基本的なことなのかもしれないが、いざ多数のスタッフや製作委員会を
まとめ上げていくとなると、さぞや骨の折れそうな作業だ。

初回よりも少し全体を俯瞰してみると
山田監督お得意の演出手法も少しずつ見えてくる。
技術的な手法などは事細かに解説された記事がいくつも存在するので
私なぞが出る幕もないが、今回も山田組ならではの映像にしびれた。
そして音響がとにかく鬼気迫っていた。
牛尾憲輔が紡ぐ、きしむピアノとニカとの静かな旋律が心地よい音の響きを中心に、
題材が題材だけあってか、とてもデリケートかつ丁重に、
時には執念すら感じる程に音響が凄かった。
静かな音があんなに迫力あるなんて。
初見のときは音響で涙が溢れたとどこかに書いたのは嘘ではない。
もしも私のひと騒ぎを目にしてて、この作品が気になるようであれば、
この作品、劇場の整備された音響で見て聞いて感じて欲しい。


どうしても問題提起的な扱いを受けざるを得ない題材ではあるし、
現在も一部のSNSなどでは炎上気味に批判を交えつつ討論されているが、
こればかりは宿命だろう。
しかしそれだけの作品じゃないと確信もする。
娯楽作品と呼ぶには躊躇するような重い話ではあるが
様々なものに敬意を込めて作られた真摯なエンターテイメント作品だった。
また、映画化で割愛されたエピソードもたくさんあるとのことで
原作もいずれ読まねばならぬと決意した。
封切りからの集客も上々のようで、山田監督の次回作も今から期待が高まる。
そしてまだまだ気がかりな点はあるので折を見て劇場に行ければとも思う。
勝手な期待を遥かに上回る作品に出会えて嬉しい限り。
公式設定集も再販かつ通販してくれないかな。
09.23追記:通販開始


最後に、今作とは直接関係ありませんが
たまたま見かけたこのツイートに深く感銘を受けましたので
謹んで引用いたします。

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