2018年3月5日月曜日

春の安芸讃岐旅:三日目 金刀比羅宮とうどんと海めぐり

初日はコチラ→:呉の街めぐり
二日目はコチラ→:宮島うまいモノめぐり

三日目の朝は、ほんの少しのんびりと。
9時前に宿を出て、朝ごはんを食べに門前町を歩く。
路地を曲がり住宅街を分け入ったところに、こんぴらうどんの工場があり
その一角で製麺したてのうどんを味わえるとのことだ。


しょうゆうどん150円、かけうどん170円。カップうどんと変わらないよ。
注文すると即座に出てくるのもありがたい。
こんぴらうどんは高松丸亀にくらべて柔らかめと聞いてたが
冷やで締めてあるせいか、そんなことは感じないくらい立派な歯ごたえ。
何杯でも食べれそうで危険だ。


路地から表参道に出て、ここから金刀比羅宮本宮まで石段登り。
噂で見聞きしていたがなかなか斜度もきつい。
昨日の厳島神社同様、まだ早めの時間のせいか人影もまばらだが
それでも石段に挑んでるグループをいくつか見かける。


宮島との違いは、そちらでは目にしなかった地元の参拝客の姿を見かけたり、
外国人観光客でも欧米の人々よりも韓国香港台湾のグループが多め、
国内観光客は老若男女バラエティに富んでるが、団体移動というよりも
数名単位の仲間内でお参りに来る人達がメインか。
パックツアーの定番で大観光地の世界遺産宮島と比べると、
地域信仰も厚いイメージ。参拝が無料なのもあるか。


足腰に地味に疲れが溜まる急勾配の石段が参道から続き、
横に立ち並ぶ門前町もシャッターがしまってるので
特に目につく物もなく、ストイックに石段を登る。
10分ほど進み、大門が姿をあらわしたところで、
ふと右手を見ると、木々が開けたところに灰色の大きな錨が置かれており、
参道の脇には「掃海殉職者顕彰碑」の立て札。
ああ!てつのくじら館で見た航路啓開活動の!



戦後の港湾・水路に残った機雷を除去する掃海作業で
殉職した79名の偉業を讃えて後世に伝えるために
金刀比羅宮に顕彰碑が建立された…と学んだばかりだけど、
それがここだとは。点と点が繋がった思いだ。

掃海殉職者顕彰碑 | 琴平町で楽しむ情報 | 琴平町役場

第二次世界大戦終戦時、瀬戸内海及び日本近海には6万余個に及ぶ各種機雷により主要港湾、水路が塞がれていたため、旧海軍関係者は率先して航路啓開(開設)作業に従事し、我が国の産業経済復興に大きく貢献しました。 ...


顕彰碑の手前に鎮座する錨は、
昭和27年(1952年)に建立された顕彰碑から時代がくだって
昭和後期~平成の掃海母艦はやせで使われたもの。
はやせは湾岸戦争後のペルシャ湾掃海任務の旗艦として
掃海艇指揮や支援任務に従事した艦とのこと。
はやせの業績を伝え国際平和と海上交通安全を願って奉納されたそうだ。



大門をくぐって境内に入るとお宮特有の荘厳な雰囲気に変わる。
ゆるやかな参道と石段を繰り返す木陰をしばらく歩くと
次は高橋由一館の案内看板が目に入る。
これこれ、ここがこんぴら参りのお目当ての一つ。


高橋由一は江戸末期から明治中期の洋画家で、
代表作は美術の教科書にも載っている、身を欠かれて吊るされてる鮭。

鮭〈高橋由一筆/油絵 紙〉 文化遺産オンライン

ここにあげる諸作は、明治維新以後、西洋文化の洗礼を受け、伝統との相剋をのりこえて多様な展開をとげた近代美術の代表的遺産である。 ...
詳しいことは金刀比羅宮公式サイトやwikipediaにあるけれど、
資金援助のために金刀比羅宮で開かれた博覧会に絵画を多数出品し
会期が終わったらそのまま奉納したらしい。
その繋がりで金刀比羅宮所有作品の高橋由一美術館が境内に作られたとのこと。

金刀比羅宮 - 豆腐

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近代日本美術資料集で頻繁に取り上げられる、まな板の上の豆腐を始めとして、
捕れたての鯛と海老、生乾きのなまり節といった、食品を画題とした
由一独特の静物画を見たくてここまで来たが、
他にも火打具や当時の書物など、身近な物を油彩で描いた静物画や、
左官や漁師の仕事ぶりの様子、四季折々を筆に残した風景画など、
由一が目にして素朴に記録した作品が並んでいた。
豆腐や鯛は別格として、小襖に品良く描かれた月下隅田川が幻想的で美しいな。


由一の絵を楽しんでから外に出ると、並びにある
金色の巨大なプロペラが目に飛び込んでくる。

こんぴらさんの金色&ゴールドコレクション 四国 ワンダーゴールド(ゴールドフォトコーナー) GOLDNEWS(ゴールドニュース)- 金・ゴールドに関する情報サイト

古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれている海の神様である正式名称:金刀比羅宮(ことひらぐう)。本宮まで785段、奥社までの合計は1368段という長い階段でも有名です。このこんぴらさんには色々なゴールドコレクションがありますので、その視点から色々とご紹介。
今治造船から奉納されたスクリューで大きさは6mとのこと。
台座も敷かれてるのでとにかく大きい。
さすが海の神様。
隣にはアフリカ象の像やこんぴら狗の銅像も設置されてたり
神馬の厩舎があったりと、賑やかな一画だった。


その区画からもうひと登りすれば
2018の大文字と水を飲む二頭の虎図が掲げられている。
書院へと続く門だ。


表書院には円山応挙を始めとする多くの障壁画が飾られており
中でも人気の高いのは愛嬌のある虎図だ。
裏書院には伊藤若冲の百花図障壁画もあるけれど普段は非公開。

高橋由一館とは別料金の入館料800円を払って見学。
靴を脱いで上がり、それぞれの間の障壁画をガラス越しに観覧。
虎、可愛い…。いつまでも見ていられる。
合計8頭の虎が水を飲んだり、ポーズきめたり正面向いたり、威嚇し合ったり。
豹も1頭混じってて可愛い。マヌルネコみたいな顔した奴もいる。
最も左にいる白虎はむっちり猫でパリパリチョコアイスバー的に可愛い。

金刀比羅宮 - 虎之間

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応挙の弟子である長沢芦雪が描いた虎は
即興な筆さばきなのに卓越した技術で猛烈に可愛く描かれてるが、
師匠の方はとにかく折り目正しく、品と格を備え持った筆遣いでまとめられる。
ずーっと見てても他の客が誰一人として入ってこないのも良い。
逆に心配になってくる。
30分ほどはいただろうか、結局最後まで貸切状態。
とてつもなく贅沢なひとときを過ごした。


高橋由一と円山応挙を見たことで美術鑑賞欲は落ち着いたので
(寺社建築は門外漢ゆえに)本宮を目指す。



お参りしてから奥の絵馬殿を見に行き
掲げられている数々の艦船の写真の中に一昨日、呉で見かけた艦艇や
名古屋港に入港して見覚えのある船舶を見つけて
親戚のおじさん気分をじゅうぶんに味わい、帰路に着く。

石段を下っていくと、行きとは比べ物にならないほど
大勢の参拝客とすれ違うが若者グループはともかく、
ご年配の方々の顔には疲労感がありありと見える。
金刀比羅宮参りは体力勝負だなあ。



琴平駅から丸亀駅へと移り、ここからは讃岐うどん食べくらべ。
目印に駅から十数分歩いたところの麺処綿谷で、冷やし肉ぶっかけを注文。
店の外に数十人、店内は80席ほどだろうか、
平日の昼間だと言うのに大賑わい、なのに回転がとにかく早い。
いわゆる讃岐うどんセルフ方式で食べたいものを取って会計を済ませて食事。


肉、うまい。ラードかヘットで炒めたのだろうか、
油かすのように香ばしい上に肉感たっぷり、それが絞りレモンと相性抜群で、
コシのあるうどんが肉を抱きしめてだし醤油と混じり合う。うまい。
そして結構大盛りだ。空腹につられておにぎりとゲソ天を
うっかり取ってしまったが、ゲソ天の厚めの皮もうまい…。

綿谷で割とお腹が膨れたが、ここで終わってはもったいない。
歩いてしばらくのところにある石川うどんに向かう。
こちらはセルフ方式ではなく普通に注文して席で待つうどん屋さん。
こだわり系の材料を売りにしてるらしくお値段も気持ち高め。
それでも二人で1500円しなかった。いいのかなあ。


こちらでは釜揚げうどんを注文。麺は多いがスルスル入る。
つけづゆもそのままぶっかけで使えそうに上品なおだし。
食べ終わる頃には満腹だったが、どちらの店もベクトルが違って美味しかった。
ご飯が美味しい街は良い街だ。



丸亀から瀬戸大橋を渡って岡山に戻る。
新幹線待ちの間に土産物を買い足して名古屋行きの新幹線へ。
地元に戻ったのは日の沈む前ぐらい。
終わってしまえばあっという間の3日間だった。

旅に出てから気がついたが、今回の旅先は
ノンテーマで適当に行きたいところを挙げて旅程を組んだのに
海上防衛と造船業の呉、海の神様である宗像三女神が祀られる厳島神社、
同じく古から海上交通の守り神として信仰されてきた金刀比羅宮、と
見事なくらい、海と縁あるところを周ってきた。
海洋国家の来し方行く末を様々な角度から見る旅だったと言えるかも。
意図してなかったのにうまく繋がるもんだ。

思えば住処も海の近くだし
あまりにも身近すぎて普段は意識なんて全然してないけど
この国に暮らす上でいかに海が重要な存在なのか、あらためて考え感じる。
修学旅行のような感想になってしまったが、実り多い旅だった。

初日はコチラ→:呉の街めぐり
二日目はコチラ→:宮島うまいモノめぐり







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