2016年6月26日日曜日

喬太郎の犯罪

喬太郎にまんまとしてやられた。

名古屋・伏見で柳家喬太郎独演会「喬太郎のラクゴ新世界」を見た。
年二回開催、今回で25回目、キャパ約250人、次回前売券が会場先行前売でほぼハケるのが特徴の、
喬太郎名古屋独演会のホームグラウンド的落語会だ。
それだけに演者と観客の共犯関係も成立する密度の濃い会でもある。


開口一番は弟弟子の柳家小太郎。
この会ではお馴染みの準レギュラーでかれこれ5年は開口一番を務めている。
開演前に名古屋では初めての小太郎独演会のチケットを
自ら販売していたが、予想外に苦戦したようで
まずはそのことについてのボヤキ節から。頑張れ小太郎。
ボヤききってから、この季節の噺をということで「蚊いくさ」。
剣術にはまって文無しになった町人が家の中に群がる蚊と一戦交えるという噺。
小太郎さんはこの会での開口一番で、いわゆる定番噺ではないような
なかなか聞けない珍しい噺をたくさんかけてくれるので新鮮。
回を追うごとに成長していく姿も見てこれたので、8月の名古屋独演会が個人的にはとても楽しみ。


続いて喬太郎師匠登場。
「名古屋にはしょっちゅう来てるから枕のネタがもうない」
「お客の顔ぶれもいつも一緒でしょ?」などとぼやきつつ、学校寄席の話題でたっぷり30分。
その話題の中で落語と講談の違いに触れた時、
「名古屋の落語会に遅刻しそうな兄弟子と連絡を受けた弟弟子」と設定を决め、
それを落語・講談・浪花節の手法を用いて即興で演じ分けるという、
余話とは思えぬほどの芸が披露されて拍手喝采。

そこからの一本目は品川心中。前から聞きたいと思ってた噺の一つだが、
喬太郎師匠で聞ける日が来るとは思ってもおらず、ちょっとラッキー。
心中とは銘打たれているけど悲劇でもなくドタバタ喜劇。
師匠お得意の可愛げのある熟女とそれに惚れ込む優柔不断な男の、
心中を企ててるというのに緊迫感のかけらもないやりとりが笑いを誘う。


仲入り後は枕もそこそこに、宿屋の主と女将が登場、
そこに長逗留する絵師が出てきた…とくれば、おなじみの抜け雀。
この噺を聞いたのはいつ以来だっけなあ、と思い起こしながら前半のやりとりを眺めてると、
「宿代の代わりに絵を描いてやるから紙を持って参れ」と命令する絵師に対して、
宿屋の主が出してきたのは裏手に置いてある土管。
その瞬間、観客の半分ほどがドカンと爆笑。
そう、抜け雀ではなくウルトラシリーズ改作落語の抜けガヴァドンだった。


名古屋の喬太郎マニアが集う会だから、喬太郎師匠が特撮マニアで
ウルトラシリーズを題材にした改作落語をいくつも持っていて、
その中に抜け雀を改作した抜けガヴァドンがあるというのは大半の客は知っている。
しかし、それらの噺をするならば、ある程度は枕で関連性のある特撮トークを振るのもまたセオリー。
それに仲入り後の枕が短い時は作品の世界観を大切にするときだから
これは古典の人情物に相違ない…と、布石をいくつも打っておいて、
「土管」の一言ですべてを裏切った確信犯の抜けガヴァドン。
そこからは独走状態の狂太郎ワールド全開で、割れんばかりの大爆笑だった。


上野鈴本演芸場では来月末に「ウルトラ喬タロウ」と題して、
10夜連続で円谷プロ作品をモチーフにした落語をかける喬太郎主任興行が行われる。
地方の喬太郎ファンとしてはとても羨ましいが、
今日の抜けガヴァドンを見ての驚きは普通にウルトラ落語を聞いただけでは味わえない。

喬太郎師匠が枕で触れたとおり、回を重ねて毎回の客の顔ぶれがほとんど変わらなくなった
マニア密度の濃い会場で気づかぬうちに伏線を張られ、
ミステリのように裏をかかれたまま不意を突かれての種明かし。
この会ならではの共犯関係が成り立ってるが故に可能な業だと膝を打った。
また、この試みは今回限りともなろう。これもまたライブ演芸の醍醐味である。



2016年6月23日木曜日

ライブ記録は撮らないでほしい、けど

なんとなく前記事の続きっぽいものを。
楽しかった思い出の一つがYouTubeに上がってるのを見かけた。


ライブを見に行くのは楽しいが、楽しんでる自分の姿が記録に残るのは、
後から見返したときに恥ずかしいので、好きではない。

P-MODEL・平沢進ライブのチケット運が一時期とても良くて
かなり前の方で見れたことが何度も続いたことがあり、
それは貴重で楽しい時間を過ごせたのだが、
後に発売されるライブビデオを見直すと
客席に妙な笑顔で映り込んでる自分の姿を見つけて頭を抱えてしまう。

またあるときはP-MODELの捏造ライブ盤を作るために
観客のガヤを新たに録音するという企画があったときに、
わざわざ志願してセリフを叫んだというのに
完成してリリースされたそのCDを10年ぐらいまともに聞けなかった、ということもある。


それでも客席に写る自分の姿で、思い出深く気に入ってるものがある。
「LIVE 点呼する惑星」のアンコール“I will survive”だ。

点呼する惑星インタラで主人公のAstro-Hue!を演じたRangのオンステージ、
三日間公演のうち、初日と二日目は本編と同様に、
観客ほぼ着席のままRangの一人舞台を見守る状態だった。
初日のアンコールを見て「これはアンコール立つべき」と直感したが
当時のインタラ着席同調圧力はなかなかのものがあり、
二日目も立てずじまいでアンコールは過ぎ去った。


しかし二日目の客席を観察すると、立つか立たざるか戸惑ってる人達を
他にもそれなりに見かける。これは最終日は衝動に任せようか。
果たして最終日の“I will survive”、
Rangが客席にコールしてテンポアップする中盤のタイミングでスタンディング、
ついでに身振りで周りに促してみた。

これが功を奏したと、手柄を求めるような短絡的な思い上がりは決してないし、
同時多発的なものだったのが実際のところだろう。
しかし、ベストタイミングだった自信はある。
その瞬間、観劇スタイルを押し通したそれまでの会期中とは一変して、
会場一体のライブステージに様変わりしたのは気分が高揚する経験だった。


後日発売されたライブビデオに、その光景が記録されている。
両手で周りに立席を促す姿もしっかり残ってて、顔から火が出る思いだ。
だけど悪い気はしない。これも楽しかった思い出の一つである。


2016年6月20日月曜日

地図帳拡げて

今月は三つのアーティストのライブを見た。
いずれもキャリア20年以上のベテランで、およそ十年ぶりに見た人達ばかりだ。
その間に長いあいだ活動停止していた人や、バンドのスタイルを変えた人もいる。
懐かしい思いで見たバンドもあれば、進化に目を見張る演奏もあり、
二度と見ないかなと決意する方向性へ舵を取っていた人もいた。
20年近く前に一度だけ生で見たベテランドラマーが
あの頃となんら変わることなくスネアをアタック極強で叩いてたのは
なんとなく嬉しかった。


20代の半ばの1~2年ほど、毎月のように東京に遠征して
気になるバンドのライブを見たりした頃もあったが、
家庭の事情が変化するにつれて、音楽からも東京からも遠ざかっていった。
新しい音楽を開拓するほどの情熱がなくなった今、
何か聞きたくなったら、その頃に蓄えた音楽を呼び覚ます。
それが私の青春だったと振り返るほどのものではないけれど
楽しかった思い出の一つではある。
ライブに足を運ぶことは趣味の優先順位として低くはなったが、
機会とタイミングが合えばまた行くのも悪くないかなと思う夜だった。

2016年6月13日月曜日

MMG

この年齢になると、身体的な老化現象っぽいものを色々と感じる。
首回りの発疹が治まらずに塗り薬が欠かせなかったり、
先月ぐらいからは右肩の筋が痛いままで、寝違えだと思ってたら
どうやら四十肩の始まりではないかと考え直したり。


そんな症状の中でも、ここ数年の懸案は耳毛だ。
三十を過ぎた辺りから眉毛の中にやたら太長いものが混じってきて
見つけるたびに切ったり抜いたりと対処していたが、
ある日、鏡を見ながら耳たぶを引っ張ったら、
耳の付け根から眉毛やヒゲとタメを張れる立派な太さの毛が生えてた。


めちゃめちゃびっくりしたが、それからよく観察してみると
耳の穴のフチにあるトンガリ(耳珠というらしい)のてっぺんや
穴のそばに太くなりかけの毛が何本もあるのを見つけてしまった。
このままでは「おふくろさん」の作詞家先生のようになってしまう。


耳毛の永久脱毛を調べるほど、一時は神経質になったが
今のところは生えてくる本数も多くないので
まめにチェックして早めに抜くことで手入れできている。
しかしこの経験は思わぬ副作用を招くことになった。
同僚や知人の耳毛までも気になるようになってしまったのだ。


仕事の真面目な話をしてるときでも相手の耳元に目が行って仕方ない。
なぜそれが気にならない!?というレベルで生えてる人もいる。
眉を整えピアス穴を開けてるような人でも耳毛にはガードが甘い。
また、髪の毛が多かったり眉毛が太い人は耳毛が生えやすい気がする。


近年は鼻毛を手入れするのがマナーという風潮も根付いて、
鼻毛切りばさみや鼻毛カッターなど商品展開されるようになり、
普通の社会人で鼻毛を伸ばしっぱなしにしてる人はよほど見かけなくなった。
次のビジネスチャンスはここに眠っているかもしれない。