2017年8月10日木曜日

出でよ分岐マニア

中学校の教師をしている幼なじみから連絡があった。
「文化祭の外部招聘で落語家を呼びたいがどうすればいいのか?」

その友人も結構な落語好きで、年に一度ぐらいは
家族で名古屋の落語祭を見に行くほどではあるが、
仕事場でそんな話題を口にしてたら「子供達に伝統文化をナンタラカンタラ」と
どうやら白羽の矢が立ってしまった模様。

友人は仕事場での無茶振りに困っていたが
落語好きにとっては、こんな羨ましい話は早々ないので
落語家への依頼方法や高座の設え方などのノウハウがまとまったサイトを紹介し、
さらにお節介ついでに、自分が見た中で楽しい印象が残ってて、
かつ予算に見合いそうな落語家や芸人を何人か伝えた。

それから半月ほど経って友人より経過報告。
その中の一人と話が進んでおり、その方で落ち着きそうとのこと。
いいなー、こんな片田舎の学祭に呼べるなんて
どんな高座になるかちょっと見てみたいな。
学校寄席ってなかなか見る機会なんて無いし。


自分自身のことを振り返ると、中学の学祭はまったく覚えてないが、
高校の方の外部招聘はいくつか記憶に残ってる。
3年周期で演劇・伝統芸能・音楽の各分野から招聘して
それらの出し物を学校の講堂で観覧するスタイルだった。

演劇は現代劇、伝統芸能は落語と紙切り
(誰が招聘されたのか覚えてないのが残念)
ここまでは普通にありがちだが、音楽が一味違った。
管楽や弦楽などではなくシンセサイザーバンドだったのだ。

もちろん、時代が時代だったので、アナログシンセは駆逐されており
小室世代直撃のデジタルシンセ山盛り編成だったが
そんな中で「シンセサイザーと言えばこの曲を忘れちゃいけません」
みたいな前フリから演奏された曲が、人生の分岐を切り替えた。
高校時代よりずっと前の、小学校の運動会で散々流れてて
記憶の片隅に刻み込まれてた曲、ライディーンだった。

そのときにはっきりとYMOが初めて意識付けられて、ほどなくCDを購入。
しかし収録曲が多いからと手を出したのが
当時出回ってたリミックスアルバムでコレジャナイ体験をしつつ、
まともなベスト盤(SEALED)を買うまでに世の中の厳しさを学んだのも
良い思い出。

そしてもっとYMOに詳しくなりたいと、
本屋で雑誌や書籍を買い漁ったうちの一冊がソニー・マガジンズから出版された
「ピコ・エンタテインメント」のVol.1だった。
あのムックがなければP-MODELに興味を示すことはなかっただろうから、
高校の学祭のあのライブ演奏から巡り巡って
今の自分に行き着いたのは間違いない気がする。


友人の中学校での文化祭で、私がお薦めした芸人の芸を生で見て
それがきっかけで伝統芸能趣味に走ったり、
ことによってはその道を目指す学生が現れたら、それはそれで楽しいなあ。
なにが人生の分岐点になるかなんて、分かったもんじゃない。