2018年9月24日月曜日

秋萩の古枝に咲ける花見れば

うろこ雲のすきまを縫いながら、雁の群れが空を往く。
畦を朱く染めた曼珠沙華の祭りも盛りを過ぎ、
出番待ちの萩が赤紫を野に散りばめた。
節気の変わり目は、いつもあっという間だ。


妻を迎えて実家を出て、借家で新生活を始めたときのこと。
お祝いに訪れた祖母が、庭に生えている萩を見つけ、
「萩は『人につく』というから大切になさい」と教えてくれた。
なるほどそういうものか、と先人の教えに深く感銘を受けたが、
そのあとでひどく苦労した。
なにしろその萩は、庭のど真ん中に居たのだから。

草むしり、物干し、家庭菜園、
なにをするにしても萩は存在感を示して、
秋になると容赦なく実をつける。
服や靴にまんべんなく塗りたくられた種を摘みながら、
野山の至るところで生い茂る萩の秘訣を、
嫌というほど思い知らされた。


我が家の暮らしに庭など要らぬと、二人とも痛く懲りたものだ。
それは今でも家訓として生きている。
そんな余計な教えを残した祖母も、彼岸へと渡って久しい。
あの庭で萩はまだ元気にしてるのだろうか。




2018年9月21日金曜日

ママハリタオセ 核P-MODEL「回=回」大阪公演 TYPE-B

核P-MODEL「回=回」大阪公演を二日間見た。
一言で表すなら、一生自慢できるライブを浴びた。
その心境を、私達の青春と交えて、博物苑のブログへ書いたら、
有難いことに予想以上の反響を得た。

しかし、アレって、過去のことしか書いてない。
現在進行系で凄っげぇ疑似バンドについて、まったく触れてない。
片手落ちだ。
けども、いまさら感想を書いたところで、
あの青春小説の後じゃ、何を付記しても蛇足になる。


というわけで河岸を変えて、忘れぬうちにライブの思い出。
こっちにブログがあってホント助かる。


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今回の二日間は、セットリスト構成を印象深く変えてきたが、
初日の方が果てしなくパーフェクトだった。
ママで爽やかに引っ叩いてから、押して引いて押して引いて、
プシクラオンあたりから怒涛のがぶり寄り、
PLANET-HOMEで叙情感たっぷりに幕を下ろす。

アンコールも白く巨大で・ハリコンと満足感ひたひたにして、
最後の最後にアンチモネシアでチルアウト。
多幸感あふれる構成だった。終わった後に力尽きたくらい。

だけど、その初日の幸せを、二日目ゼブラがかっさらってった。
やーもー持ってかれた持ってかれた。


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家族ぐるみでお世話になってる、大阪山奥自転車屋さん。
そこのご子息を、今回の初日公演に誘った。

三輪車の上にチョコンと腰かけてた幼児の頃から、
かれこれ15年ほどお付き合いするセブンティーンだが、
高専に進学する前後からベースを手にして、
現在は校内バンドをいくつも掛け持つ駆け出しベーシストとのこと。


普段は Suchmos や WONK を愛好する、オシャレ嗜好の好青年だが、
「音楽性の好みが合うか否かはさておいて、
 あんなステージングやパフォーマンスするミュージシャン、
 他では見れないから、損させないので見においで」…などと、
あれこれ口説いて連れ出したけども。

暗転からステージが照らされ、
ペストマスクの二人組が登場したときは、
「悪いものに誘っちゃったな」と冷や汗かいた。


終演後に感想を聞いたら、
ステージングはやっぱりすごい、
テクノは難しすぎる…と首を傾げてた。

「こんないたいけな好青年をこんなのに連れてくるなんて!」と
一緒にいた友人に冗談半分で嘆かれたが、
彼の音楽人生の中でのスパイス一振りになってくれれば、
親戚みたいなオッさんオバさんはちょっぴり嬉しい。


しかししかし。入場待ちのときに、
彼は同じ高専に通う同級生を見つけてた。
あの人混みですげーな。運命だ。

あまりのことに、ノリノリでその同級生に話しかける見知らぬ中年。
なんでも数ヶ月前に平沢さんを知って、もちろん初めてのライブらしい。
行動力ハンパないなー。
他のバンド友達にも、平沢聞いてる人がいるらしいし、
ホントに(ごく一部の)若い世代に浸透してるのね。


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白会人にペストマスクをチョイスするのは、
なんというか毒まみれで悪趣味で、最高である。
ギターネックと同様に向ける方向も明確だから、舞台映え半端ないし。
「見せる」演出に於いては、一日の長のあるプロデューサーと感心する。
好青年ベーシストのパフォーマンスの刺激になれば幸い。

次のマスクを予想してる人もいるけど、
ガスマスクなんて、とうの昔に使い古されてるからなー。


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あんなに驚いた大阪公演を浴びた後に、
気になるのはやはり東京公演だ。
「手品師のやり口」で驚かせた後に、同じ手口をするとは到底思えない。
など考えてたら「会人も驚く東京の1曲目群」と宣言されてしまった。

そこで、なにをすれば会人も驚くのか、
平沢さんの思考をトレースしたところ、自分でも驚いた。
この発想に辿り着いたの、当たろうが外れようが構わないくらい。
たぶん外れる。
でも、大阪公演の衝撃とその残滓で、これだけ楽しんだのだから、
もう満足だ。
ああ、東京公演すっげー楽しみ。待ち遠しい。


そういえば回=回、近年のアルバムでは、
最も聞き込んでるかもしれない。
リリース当初から、後半の展開がとても好みだと感じてたが、
ライブを通したら前半もカッチリ気持ちよくなった。
何かの拍子にPLANET-HOMEの節を口ずさむほど好き。

音楽性だけでいえば、ソロとPが自然に統合したような印象。
音廃の頃ならECHO-233とかリテイクしてたよね。MOON PLANTみたく。
その上で軽快に踊るギターサウンド。下支えの音群も濃密で好き。
やっぱりP-MODELが根っから好きなんだと痛感する。
青春ですもの。


こうしてあの頃を思い出しても、気恥ずかしさが薄れたのは
我ながら幼年期の終わりだとも思うけど、あれはあれで全力だったから、
それでいいんじゃない。あの頃の自分よくやった。
まだまだ続くぞ朱夏。




2018年9月4日火曜日

STONE AGE!

PCの調子がここんところ悪い。
chromeを使ってると動作が細切れになるほど重い。
しばらく経つとPC全体の挙動がもっさりする。
まともに使えたもんじゃない。

なんとなく原因は分かってる。メモリだ。
自作冬の時代に安めのBTOマシンを選んで使ってたが
そろそろメンテナンスの時期だろう。

数年前のマシンだからメモリも型落ちしてることだし
安く調達できるだろうなどと、たかをくくって調べたら、
4GBで4000円、8GBなら8000円と、まだそれなりの値段だった。
(DDR3-1600)
おまけに空きメモリスロットも一つしかない。
予算と相談して4GB足して、合計8GBで様子を見ることにした。

結果、笑ってしまうほど快適になった。
めでたしめでたし。


そう思ってたら、PCパーツを勉強した副作用が出てくる。
もう一台、テレビ録画サーバとして活動するホームシアターPC。
あいつも録画番組や配信動画の再生でもっさりする。
TVチューナーカード(PT3)は奮発したが、CPU周りはケチってるはず。
あいつのCPUこそ、型落ちで安くなってる頃じゃないか。

スペックなどまるっきり忘れたので調べ直したら、
SandyBridge の celeron だった。
Amazonマケプレやヤフオクを見ると Core i3 が数千円で買えそう。
名古屋に行くついでに大須で中古パーツを探すか。


じゃんぱらで Core i3-2120 が3000円くらいで買えた。概ね良し。
シリコングリスを薄塗りしてセットアップや~。
…OSが立ち上がらない。CPU差し間違えたかな。電源オフ。
BIOSレベルでは認識してるし、ファンも回ってるし。
特には問題なさそうだ。…OSが立ち上がらない。

……。

あれ、さっきの電源入り切りで、OS破損した?

…修復も効かない。
Win7って上書きインストールできないのね。

OS再インストールした。インストールDVD取っておいてよかった。

えーと、あとは、ドライバを探して、
激めんどくさいPT3周りのセットアップして、
自動録画システム構築して…。なんでここでつまづくの…。
どうしてドライバは認識してるのに動いてくれないの…。
小型薄型ケースで自作なんてもう二度とするものか…。


一日半かけて録画サーバ再稼働。
前に使ってた録画ソフト(TvRock)が入手困難になって久しいから
流行りの方法で組み直したけど、なんだかむしろ快適になった。
EPG自動取得とキーワード自動予約が便利だな。

CPUスペックも上がったので動画再生も快適。
いままでVLCプレイヤーではほとんど見れなかったけど
今度の構成ならストレスなく見れる。
AmazonプライムやAbemaTVもオールOK。
テレビ台周りがほんのり暖かいけど。


副効用としては、SandyBridgeから搭載されてたQSVの恩恵で、
動画エンコードが捗るようになった。
手間を惜しまなければHDDのスペースも取れるし、
mp4ならGoogleフォトに預けられる、しかも無制限。
あら、これ疑似ロケフリできそう。
手間を惜しまなければだけど。

とりあえず、録画したまま見返すこともなく、
HDDの中で幅を利かせてた番組をエンコードして預けてる。
手間のかかり具合がVHSデッキつないでダビングする感覚に似てる。

しばらくこれでお金かけずに時間を潰すかー。
とか呑気に構えてたらメインマシンのDVDドライブが壊れたよ。
しょぼん。





名古屋ボストン美術館 最終展「ハピネス~明日の幸せを求めて」


名古屋の南玄関である金山駅に隣接の、名古屋ボストン美術館。
ボストン美術館の姉妹館として、同美術館の所蔵品を中心とした
展示・特別展が行われていたが、今年の秋に閉館すると発表された。
アクセスも良く、何度も展覧会に行ったので残念だ。
最終展覧会を見てきた。


「愛から生まれる幸せ」と題した第一章は、
古今東西の愛の形が表現された美術品が展示。
親子愛、男女愛、兄弟愛、
彫刻、油彩画、版画、浮世絵、写真プリント…。
なかでも子どもたちへの愛情を題材とした作品が目立つ。
「ガンジー島の海辺の子どもたち」が見れて嬉しい。
やっぱりルノワール好き。

続いては日本美術、大物の屏風絵や襖絵を中心とした内容。
目玉の曾我蕭白「琴棋書画図」は、解説もふんだんに掲示されて親切。
蕭白独特の迫力やエログロは滲み出る程度で、品が良さげな印象だった。
もともとの由来は不明とのことだが、
誰のオファーで描かれ、どこに安置された作品だったんだろう。

北斎の肉筆浮世絵などが、さりげなく展示されつつ、
古今東西の吉祥が祀られた縁起物のコーナー。
袱紗や打掛が何枚か掲げられており、
そのどれもが大胆なデザインと細かい刺繍で彩られて、目に鮮やか。
中でも「紺繻子地綱引き模様掛袱紗」は、
生地の紺色と細かい金糸が華やかで、これ欲しい。


上の階に進み、アメリカ美術。
20世紀初頭のメリーゴーラウンドで使われてた、豚の彫刻品が可愛い。
子供が乗れるサイズで、とても丁寧な装飾。
偶蹄目な蹄も再現されてて、使用による傷みにも愛が溢れてる。

洋の東西の美術交差の展示は、個人的に見どころを感じた。
アメリカ人画家の手による、絹本着色の正調山水図。
画材などを揃え、アメリカの風景を水墨画に仕立ててるが、
月・山・岩などの素材描写法のフォーマットや筆使いが、
日本画伝統のそれと異なってるのが分かり、それがまた味わい深い。
対面には別の画家による、浮世絵からモチーフを得た油彩画が掲げられ、
それらのアプローチの違いが、明快に対比されてて楽しい。

東洋美術の収集品も多く展示され、
踊るシヴァ神の銅像は1m超えの大物で、眺めてるだけでハッピー感。
チベット仏教の祠も鏡台みたいなサイズの観音開きの中に
立体曼荼羅が再現されてて、手を合わせたくなる。

抽象画寄りの現代アートはどうも苦手なので、
さらりと流してしまう。ナン・ゴールディンの写真は懐かしい。
むしろ退場した後に掲示されてる塗り絵コーナーに
なかなか面白い作品が多く、そちらに見入ってた。
ウケ狙いから、天然色ギラギラ湧き出すもの、
それぞれが集合して群体アートみたいだった。

名古屋ボストン美術館は資料室に質が好みの資料が多く揃っており、
こざっぱりとしてて居心地良かったので、たまに利用してたっけ。
やっぱり良い場所だったな。お気に入りでした。