2016年12月19日月曜日

泰王国曼谷訪遊記 その3b

先月の下旬に所用でバンコクに行った。
旅行の顛末は別ブログに5回に渡って記したとおりだが、これはその後書きである。
そんなものはあちらに書くのが道理ではあるが、
旅行記として出すべきことは出し尽くしてしまった。
向こうに書くには味気ないような書きそびれを、こちらに記そうと思う。


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いわゆる「タイショック」が大嫌いだった。
私は平沢進アーティスト人生の一大転機「タイショック」で
振り落とされたファンの中の一人である。
解凍P-MODELの2枚と94年ソロアルバム「AURORA」、
それに第一期DIW/SYUNの作品群は、いずれもど真ん中ストライクで
何度も繰り返し聞き、歌詞カードもボロボロになるまで読んだが、
95年に入ってからのリリース作品はまったく肌に合わなかった。

メンバーお披露目を見に大阪ライブにまで駆けつけた
改訂P-MODELも肩透かしを食らった印象だったし、
AURORA路線の発展を期待したソロNEWアルバム「Sim City」は
前作とはまるで違う灼熱と湿気を伴った作風に面食らったものだ。
ほどなく別の趣味にハマった頃にはP-平沢の新譜が出ても買うこともなく、
たまにはP-MODELでも見ようかとライブチケットを買うも
会場まで行く気が起こらずに無駄にしたことも何度かあった。


P-MODELを積極的に聞かずにいたのは2年間ほどのことだったか。
その後、再びP-MODELの新譜を聞き始めて、
改めてP-MODELや平沢ソロに心酔して今に至るが、
それでもタイショック当時の作品は好きになれずに敬遠しがちだった。
もちろん、20年に渡って最も好きなミュージシャンの作品だから
まったく聞かないということはなかったが、
他の作品に比べて再生を選ぶ機会が少なかったのは確かだ。
同様にSP-2に関する記述も真剣に目を通さずにいたし、
書籍「SP-2」も購入以来、熟読まではせずにいた。

タイという国とSP-2を毛嫌いしてるわけではない。
タイ料理は全般的に好きだし、ムエタイにも興味があった。
しかし、平沢作品との結びつきがどうしても理解できなかった。
思えば解凍P-MODELとAURORA路線からの急転回に対して
どこか裏切られた思いがあったのだろう。
あまりの青さに今となっては赤面してしまう。


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私個人の中で平沢作品とSP-2のピースがはまり、
一人で合点がいったのは、どちらかといえばつい最近だ。
2chの平沢歌詞解読スレで遊んでたときのこと、
ライブ「シュート・ザ・モンスター」のフライヤーに書かれてた一節の話題から
幻のアルバム「モンスター」のテーマである「原初の混沌とした女性性」について、
いくつかの資料を紐解いて解説文をまとめたが、それの最後に、

> P-MODELで女性性の表現を成し得ずに終わった数年後、
> 男も女も飛び越したSP-2という存在と出逢い
> その後のライフテーマになるほど彼女達から
> インスパイアされたのは必然だった。

という一文をなにげなくタイプした時、
自分の中のタイショックに対するトゲがすべて抜けた思いだった。
今でも思い出すが、そんなサゲにするつもりで
頭でっかちに考えて書き進めた文章ではない。
あのサゲは自分がそれまでに読んだ数多くのP-MODEL資料を咀嚼しながら
モンスターという怪物を解き明かそうと無謀な闘いを挑んだ上で
最後に天から降りてきたような、そんな不思議なものだ。

書籍「SP-2」を熟読したのは恥ずかしいことに数年前だ。
あの布張りの豪華な装丁は私の読書スタイルに向いておらず、
ドキュメントスキャナを入手したのを機に蛮勇を奮って裁断し、
電子書籍に自炊してタブレットに入れたことで、ようやく読む環境が整った。
もう10年近くまえの書籍なのでネタバレもなにも気にせず書くが、
「母よ。死刑台のダーゴンファイ」の文中で
女性性について触れる場面に差し掛かった時は、
あながち的外れでもなかったと確信すると同時に激しく後悔した。
これをしっかり先に読んでたらあんな文章、こっ恥ずかしくて書けない。


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さて、実際にバンコクの街を歩き、SP-2ショウを見に行って
感じたことのすべてはあちらにまとめたとおりである。
付け加えるならば、SP-2については
「天女から山姥まで」の多面的で巨大な女性性の表情を、
一端でも身をもって体験できたのは、いろんな意味でも貴重な体験だった。

これが平沢さんの庇護の元で開催される点検隊などのイベントならば
平沢さんの監視が光る中で山姥的な側面はほとんど見せないだろう。
持っていかれた現金はそれなりのものだったが、
代わりに平沢さんの庇護のもとではあまり見せぬ側面も覗き見えた。
そういう点でこちらにも実入りのある取引ができた、と今は思う。


タイに行くことが決まった頃からタイショック作品群、
SimCityやSIRENに舟、コレクティブエラー、クンメーなどを集中して聞いた。
帰った今でも、繰り返し好んで聞いている。
あんなに私の肌には合わなかった作品だったのに、
旅行の体験を経て、タイやSP-2の質感がリアルな情景を伴うようになり、
ようやく当時の平沢さんの衝動がどんなものだったのか、沁み始めてる。
やはり百聞は一見にしかず、ということわざ通りなのだろうか。
腑に落ちるのに20年かかったが、良い作品と実感できて儲けものだ。


パスポートも入手したことだし、また機会を作ってバンコクに行きたい。
妻の試算では20万もあれば二人で楽しく旅行できるだろうとのこと。
タイに限らず別の国も面白そうだ。
人生も後半戦にさしかかったことだし、動ける機会を逃さず遊ぼう。

2016年11月15日火曜日

年の瀬プレゼント

気づけば2016年も残りわずかになってきた。
仕事納めが済んだ後の頃に小中学生時代の幼なじみ二人と忘年会を行うので
今年もそのための連絡を取り始めている。

忘年会会場として自宅を毎年使わせてくれる友人には小学生の一人娘がいて、
少し遅くなったクリスマスプレゼントを彼女に届けるのもなんとなくの慣わしなのだが、
のだめカンタービレにドハマりしてるとの事前情報を元に
去年は指揮棒とマウスピースを携えてお邪魔した。

人見知りしがちの娘さんなので、「ふーんありがと」的な
素っ気なさげな反応でその場ではそれ以上触れようとしなかったが
後日、友人から寄せられた連絡によれば、とても喜んでいたらしく、
翌朝からコンダクター気分絶好調で指揮棒振りまくって大はしゃぎで、
マウスピースの方もほどなくアンブシュアができるようになり
音が出せるようになった、とのことだった。


さて、そうなると今年はどうするという話になる。
指揮棒もマウスピースも、それなりのものでもあわせて千円ちょっとで買えたが
マウスピースに合わせる管楽器ともなれば、さすがにそうはいかない。
忘年会の打ち合わせをするときに今年は何に興味を示してるのか、
それとなく聞いてみた。
彼女がいま興味津々なのはトロンボーンだそうだ。
うん、無理。

最近は入門用・練習用でプラスチック製のものがいくつかあるが、
さすがにどれも五桁からのお値段である。
プラスチック製管楽器シリーズのなかには
廉価な入門楽器としてフルートやクラリネットのおもちゃみたいなものもあったが、
評判を見ると一オクターブしか出ないなど芳しくなく、
変なものでごまかしても仕方ない気がしてきた。
いっそのこと響けユーフォニアムのDVDでもあげるか。
それともここはオタマトーンか。
もうちょっと悩もう。





2016年10月19日水曜日

瀬戸市美術館「没後100年 宮川香山」

今年一年かけて東京・神戸・瀬戸と巡回する宮川香山展。
春先からずっと楽しみにしてた企画展で
最寄りの地方へと来るのを楽しみにしていた。

宮川香山といえば代名詞にもなっている「高浮彫」。
会場に入ってすぐの展示室から香山が手がけた高浮彫の銘品が
これでもかと言わんばかりに並べられていて
揚げ物が続く大盛り料理店のような胸焼けを感じたが、
別室に移ると釉下彩という技法で色付された磁器の品の良い作品も並んでおり、
メリハリの効いた展示構成となっていた。

呼び物でもある猫や蟹の高浮彫はもとより、
鳥と花の造形描写には目を見張った。
古来から日本画の中でも花鳥画は数多く描かれており、
それだけ描写技術が洗練されていたためなのか、
それらの立体化への執念と卓越した造形技術を見物するだけでも価値があった。

客層が普段行く企画展とは若干異なっていたのは興味深かった。
平日の昼間とは言え、地元の高齢者が目立ったのだ。
漏れ聞こえる会話に耳をすますと、
陶芸を趣味とする客が多く、教室の先生に
「これは良い展覧会だから」と勧められて来たという人もいた。
地元の作家の展覧会と思ってたとの発言も耳にしたのが、
さすがというかなんというか、焼き物の街らしいと言えば良いのか。

図録は三会場共通のもので、見本を眺めたら
瀬戸会場では陳列されてない展示物をちらほら見かける。
会期中の展示替えによるものではなく、
展示リストによると東京会場のみ・大阪会場のみと注釈されていた。
少し残念だが、瀬戸会場は公共施設だからなのか、
入場料がお値打ちだったのはありがたかった。
ただ、グッズも三会場で売られていたためなのか、
すでに売り切れのものが目立った。

代表作「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指」の猫を模したストラップを
自分用に購入、キーホルダーにつけてみた。

あの化け猫チックで愛嬌ある猫の雰囲気が良く移されてて可愛い。
しばらくこいつと仲良くしていこう。

2016年10月13日木曜日

京都めぐりぶらぶら系

連休が取れたのでそのうち一日を利用して日帰りで京都に行ってきた。
今回はほとんどノープラン、行き帰りのバス予約と
食べたいものだけ决めて他は思いつきで動いてみた。

とりあえず押さえたいのは、この季節といえば出町ふたばの栗餅、
最近ご無沙汰のたま木亭のパンも食べておきたい。
あとはどこかで牛カツサンドを買ったり、時間があったらお茶したりぐらいの
緩めのプランで動いてたら京阪沿線を行ったり来たりすることになりそうで、
そんなルートを眺めてたら沿線上に気になってたスポットがいくつか浮かぶ。
たま木亭の近くにある黄檗宗大本山の萬福寺と
京都五山のひとつに数えられる名刹、東福寺だ。

見事に何の前知識も入れぬまま詣でたが、見どころは沢山あった。
どことなく中華風の意匠が各所に施された萬福寺は
これでもかと言わんばかりに安置された仏像群が見応えあるし、
境内に山内寺院を多数有する東福寺は庭園も清められていて
ザ・京都といった風格が至る所に漂ってた。
行事のために本坊庭園が拝観中止だったのが残念。
どちらも機会があったらまた訪れたい。

食べ物もいつもと変わらず美味しかった。
一番食べたかったのは栗餅だったが、いもあんの福豆大福が絶品だった。
たま木亭のパンでは焼き鳥ももをネギで和えて
柚子胡椒で味付けした「宮崎」なる惣菜パンが好みだった。
しかし、このところ京都で食べてるものが一本調子なので
そろそろ違うところを開拓したいところか。大丸のファミリー食堂が美味しそう。

朝6時前に家を出て7時台のバスに乗り10時には京都着、
19時半のバスで京都駅を発ち、22時前に名古屋へ戻り帰宅は23時前。
丸一日遊び歩いてたが、運転しなくて良いのが何より気楽。
今回は市バスや地下鉄も使ってせわしなく移動してたが
周遊パスみたいなものを買えばもうちょっと節約できそう。
あとはどこかでゆっくりするのも悪くないかも。
何もかも忘れて連泊してダラダラ遊んでいたい。


2016年10月7日金曜日

Moonriders Outro Clubbing Tour in Nagoya E.L.L. 20161006

ムーンライダーズのライブを見るのは4度目、
初めて行ったのは1998年夏の岐阜ライブだった。
そのときの思い出は別ブログにかつて記したとおりだが、
それから見たのが無期限活動休止宣告ライブとかしぶち哲郎追悼ライブなので、
葬式厨と指差されても仕方ない。

結成40周年を記念して「活動休止の休止」を宣言。
7月から年末までフェス参加やライブハウスツアー、
ホールクラスライブを半年に渡って執り行い、
同時に入会金1万円の半年間限定FCも結成する……という、
なかなか刺激的な発表を伝え聞いたのは初夏の頃であろうか。
地元でもライブがあるし、洒落っ気の効いた価格設定だったし、
賞与が出たばかりの懐具合も手伝ってFC加入し、ライブも予約した。
ほどなく発券したチケットの整理番号を確認したら
我が目を疑うような数字で、逆に客入りが心配になったが、
開催前日に急遽、キャパ250人のell.FITS ALLから
キャパ600人のElectric Lady Landへと変更、ソールドアウトした模様。
うひーE.L.L.なんて昔のハコで初期シンセサイザーズを見て以来だよ、などと
思いを巡らせつつ大須へと向かった。

定刻通りに場内暗転し、ほどなくメンバー登場。
上手前方から武川・慶一・良明・博文、後方に岡田・夏秋と、
近年定番の4人フロントに位置取って音出し、からの一曲目は
昨年に患った大病から復帰を遂げた武川がボーカルを取る「水の中のナイフ」。
すでに日程終了しているフェスなどと同様に、
ライブ乗りの良いアッパーな人気曲がずらりと並ぶ中、
随所に「珍しい曲」(慶一談)を挟む、緩急つけたセットリストが繰り広げられる。

信じられないような最前列センターを陣取れたため、
場所が良すぎた分、フロントのモニタースピーカーの音まで聞こえてしまい、
キーボード・ボーカルがギター・ベースに隠れがちだったのは残念。
とても贅沢な悩みではあるが。
その代わり、メンバーの一挙一動を余すところなく見物できて、
BEATITUDEでの慶一と良明のダブルギタリストによる名物足上げステップや
モダーン・ラヴァーズの博文ショーなど円熟のパフォーマンスを堪能した。
ライブ終了後のフロアにはメンバーより若かろう観客がところどころで
嬉しい悲鳴を上げながら疲れ果てている光景が見られた。

円熟と言えば、今日の演奏は心持ちテンポを抑え気味にしてた気がする。
聞き慣れたライブ盤では疾走感ある走り気味の曲も
今日はテンポを堪えて一音一音、匠の技で配置されて
かっちりと構築していくような印象を受けた。ツアー初日だからだろうか。
残念ながら私は今日の名古屋しか行けないが、週末は新宿ロフト2Days、
そのまま来週は大阪香川、翌月に京都金沢とツアーは進み、
師走には中野サンプラザ公演が発表されている。
活動休止の休止という力技を駆使して再び姿を現した噂の怪物は
結成40周年の節目を死に物狂いで駆け抜ける。
その片鱗を名古屋の地で見せつけた一夜だった。
この怪物、見逃すと後悔するぞ。






追記、というほどでもないが、慶一さんの髪型に意表を突かれた。
まさかのリーゼント。

2016年10月4日火曜日

栄華の都 - Movie City

タイトルはちょっと言ってみたかっただけシリーズ。


前に書いたとおり、今年は映画館に向かう機会が多い。
数百人規模の大スクリーンからIMAX、はたまた数十席のミニシアターまで
色んな場所と空間で映画を楽しんできたが、映画内容の感想を抜きにして感じたのは、
デジタル上映の時代になり、映像のクオリティが飛躍的に向上したのを実感した。

少し前まではフィルムについた傷なのか、
映像の端々に一瞬だけ走るノイズのような線や点が気になったものだが、
そういうストレスとは無縁で全編楽しめるようになって良い時代だなーと
とてもおっさん臭い有難みでしみじみとしてしまう。

フィルム時代の映画といえば上映中の映像に
15分か20分間隔で定期的に上の方に穴みたいなのが出てきて
いちど気になり始めると仕方なかったものだが、
あれはフィルムの切り替えタイミングを伝える
「切り替えパンチ」なるものだと知ったときは一つ賢くなった気がしたが、
あれも今の若者たちにはもう完全に縁遠いものなんだろなあ。


思い起こしてみると、不思議惑星キン・ザ・ザの2001年時
リバイバル上映のときはニュープリントが売りだったし、
2011年の映画けいおんぐらいまではぎりぎりフィルム上映だったはず。
ここ数年でデジタル上映に切り替わったんだろうけど、
とにかく映像ベースの向上には目を見張る思いだ。

さらに振り返れば、10年前の夏に見た細田版時かけは
一部で熱狂的に話題になってから劇場に行ったので、
封切りから数週間経ったロングラン上映してるときに見た映像は
けっこう細かいフィルム傷が気になったのを覚えてる。
それに対して、その同年の冬に封切られたパプリカは
上映開始週の早めに見に行ったので、極上に美麗でグロテスクな映像を
とても良い状態で目に焼き付けられて幸せだった。
その二つの出来事を照らし合わせて
「映画は公開週に見に行くべき」と心に刻み、
ついでに当時のmixi日記に書き残したものだったが、
今となっては懐かしい過去のライフハックとなった。
(が、その教訓は形を変えて「展覧会は初週に見に行くべき」となって生きてる)


でも、映画のネタバレ考察トークとか二次創作妄想を膨らませるのを
みんなで寄ってたかってわいわいやるのはメチャクチャ楽しいから、
やっぱり映画は早めに見に行ったほうが面白いよ。



2016年9月29日木曜日

みりんのふるさと

碧南市の藤井達吉現代美術館に河鍋暁斎展を見に行った。
離れた臨時駐車場に車を停め、美術館への道を歩いていると
どこからか米が炊けたときのような、食欲をそそる香りが漂う。
香りの元は美術館前の道路を挟んだ向かい側、
歴史と風格を感じる白壁に掲げられた「九重味淋」の看板。
もち米を蒸すみりんの蔵元からの香りだった。

香りに誘われるままに直売所へ吸い寄せられると、
そこは昔ながらの事務所の一角に設けられた実直な売店、の真ん中に接客係のPepper。
しきりに会話をせがんでくるPepper相手に軽快トークを見せないと
やっぱり売ってくれないのかな、と身構えてたら
ほどなく女性社員が応対に出てきてくれて、心の底から安心する。
看板商品である本みりん九重櫻と原料にみりん粕を用いたラスクを購入した。

実は先日、とある酒屋の前を通ったら
袋詰めのみりん粕が売られてたのを見かけて
そのうち食べるつもりでなんとなく購入したり、
飲用に向くみりんのレビュー同人誌を書店で見かけて衝動買いしたりと
なぜかみりんづいてる。
その本によれば私の住む地方の近隣は
江戸時代からの歴史あるみりんの産地らしくて
今でもみりんの名品を作る蔵元が多いとのこと。
和風料理ぐらいでしか味わう機会がなかったみりんだが
良い機会なのでいろいろ試してみると世界が広がるかも。
下戸だから舐める程度にしか味わえないんだけど。


2016年9月21日水曜日

キクをミル / 映画「聲の形」

映画「聲の形」を見た。
アニメけいおんシリーズ・たまこまーけっと・
たまこラブストーリーを手掛けた山田尚子監督の最新作で、
原作も週刊少年マガジン連載時に話題となった作品である。
映画化のニュースとスタッフ発表以来、封切りを心待ちにしていた。
しかし上映開始と仕事のスケジュールがうまく合わず、
間隙を縫って初日土曜のレイトショーに駆けつけたが、
初見では多数のエピソードを整理しきれずに表面的な感想ばかり生まれる始末。
それと同時に再び見たいという衝動と、
モヤモヤした思いを自分なりに消化したいと直感したので、
日を改めて再鑑賞する機会を伺っていた。
以下、映画本編を見た後の感想置き場につき
未見の方はネタバレ注意。



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2016年9月14日水曜日

名古屋ボストン美術館「俺たちの国芳、わたしの国貞」

名古屋ボストン美術館「俺たちの国芳、わたしの国貞」を観た。
春のbunkamuraザ・ミュージアム、夏の神戸市立博物館を経て、ようやく名古屋へ巡回。
初週の平日とは思えぬほどの入り具合、しかし大混雑とまでは行かず
じっくり見たい作品も少し待てば独り占めできるぐらいで、
ちょうど良い塩梅で楽しんでこれた。


今回の展覧会で目を惹かれたのは
「三代目尾上菊五郎の名古屋山三、六代目岩井半四郎、五代目市川海老蔵の不破伴左衛門」
「二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛」だ。

二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛


歌舞伎が大好きな毛利の若殿様が国芳や国貞に摺らせた特注品で、
版画とは思えぬほどの繊細な彫り線や、金銀特色も加わった上品な色使い、
さらには「空摺り」と呼ばれるエンボス加工まで施されており、
町人向けに量産された錦絵とは一線を画した技術がつぎ込まれてて、
それはとても見応えあった。

国芳の細部まで緻密に描き込まれた世界観とマンガチックに大胆な構図、
国貞の本流を押さえながらも女性の生活を機微に描いた作品、
それぞれを比較しながらも、どれも見ていて飽きない作品ばかりで
保存状態も良い物が並んでおり、とても楽しいひとときであった。


ところで、当時人気だったのはやはり歌舞伎だったようで
歌舞伎役者のブロマイド的な作品がいくつも並んでおり、
歌舞伎の知識も嗜んでいると浮世絵鑑賞は捗りそうだ、と見ながら感じてた。
例えば市川團十郎や尾上菊五郎といった留め名の大名跡から、
成田屋や音羽屋などの屋号、それぞれの得意とした演目…。
たまたま先日読んだ「歌舞伎一年生」が初心者向けに解説されてて
そこらの知識を一夜漬けできたのが今回とても役立った。
当時の庶民的な風俗や世相をダイレクトに取り込んだ消費アートだから
その手の知識も詳しくなれば、より楽しめる気がする。
そんな点でも勉強になった日だった。

2016年9月10日土曜日

葡萄の季節

ここ数年、夏の味覚の楽しみにぶどうが加わった。

子供の頃はどちらかと言えばそんなにぶどうが好きじゃなかった。
食卓に上がるのはデラウェアか巨峰のどちらかで、
食べやすいけど酸っぱさが先に目立って粒の数が多くて食べ飽きるデラと、
甘い大きいと親が有難がってた巨峰の方は
皮は剥きにくいは種はデカいは面倒だはで、好んで食べた記憶がない。
生活圏にコストコができたころに
輸入品のシードレスグレープを試しに買ったが、
確かに食べやすいけども甘さは薄いし割高感はあるし、
結局、繰り返し買うものにはならなかった。


転機が訪れたのは数年前。妻がある日、
「この近くの町はぶどうの名産地らしい。
 色んな種類のぶどうを育ててるんだって。食べたい。」
…と、つぶやいた。
ぶどうなんて巨峰かデラウェアかマスカットぐらいじゃないの?と
訝しみつつ調べてみたら、自分が知らないだけで、
世の中にはお米のそれ並みの品種が出回っており、
中にはゴルビーってソ連の書記長みたいなやつもいた。
(とか思ってたらホントにそれが由来だった)


そんな会話をしたのが10月ぐらい。
そのときは知らなかったがこの辺りのぶどうの旬は8月。
ということでその年はお預け。
翌年の夏がやってきた頃、満を持して美味しいぶどうを探し始めた。

やはり売れ筋なのか主流なのか、巨峰をメインに育ててるぶどう園が多く、
でもどうせならなるべく多種多様な品種を中心にやってるところに行きたいな、
だけどそんな都合の良いところあるのかな、と思いながら農道を車で走ってたら、
「ピオーネ」「ゴルビー」などと書かれたのぼりを発見。
誘われるがままに行ったら、栽培品種が十数種類、
さらに看板犬のワイマラナーとトイプードルが激烈可愛いという、
我々にとってのエルドラドのようなぶどう園に巡りあった。

よく冷えた試食用のぶどうは甘く美味しく、
種のないもの、皮ごと食べられるもの、などなど多種多様で、
いくつかの品種を見繕って買ったが、
どれもこれも眼から鱗が落ちる勢いで大変美味しかった。
特に我が家で人気が高かったのはシャインマスカットで
甘い・香りが良い・実がしっかりしてる・粒が大きい・皮ごと食べられる、と
「ぶどうってこんなに美味かったのか…」と思い知らされた。
これはリピートせねばなるまい、と改めて買いに行ったら、
シャインマスカットは比較的、早生の品種のようで既に取り扱い終了、
また翌年まで持ち越しで肩を落としつつ他の品種を買って帰ったこともあった。


結局、その年の夏は事あるごとに通い、様々な品種を食べ比べた。
いろいろな種類を食べることで食べ慣れた巨峰の美味しさを改めて認識したり、
流通ルートを経てスーパーに並ぶものより朝採れ新鮮な方が明らかに甘いこと、
食べ比べて自分たちの好みの食感や味の指標ができたのは貴重な経験だった。

旬が過ぎ去った秋冬頃からは翌年のためのぶどう貯金まで始める始末。
そして今年もその貯金を使い、ぶどうをたくさん食べられた。
シーズン初っ端に当たった大粒のシャインマスカットがマストだったなあ。


今年の旬も終わってしまったけど、また来年が楽しみ。お金貯めよう。

2016年9月7日水曜日

夏の映画の雑感

今年は映画館に足を運ぶ機会が多い夏だった。


7月末の公開直後からただならぬ勢いでTwitterで話題に上がった「シン・ゴジラ」。
ネット依存症気味である我が家でも話題になり、
見に行くしかあるまいと近所のシネコンへと向かってIMAXで鑑賞、
見終わった直後に家計からの支出でサントラ購入するほど衝撃を受けた。
その後ほどなく「社会現象」と呼ぶのにふさわしいブームとなり、
一時の喧騒からはようやく落ち着いてきたものの、
その名を目にしない日はいまだに無い。

特撮映画としても政治劇としても邦画としても、
なにより娯楽映画として心底楽しめた映画だった。
鳥肌が立つような映画をスクリーンで見れて良かった。


シン・ゴジラの爆発的ブームが一段落した頃に
入れ違いでTLに登りはじめた「君の名は。」。
タイトルが繰り返し流れてくるようになってから気になり始めたものの、
この映画の事前情報どころか、新海誠監督作品すらも一度も見たことはない。
幾つかの評判に主題歌を歌うバンドとキャストを当てている俳優の話題、
それと景気の良い興行収入のニュースが届くばかりだった。

逆にここまで来たなら、どんな内容なのかなにも知らぬまま見ようかの、と
気負ったまま乗り込んだ映画館。
そこは噂どおりリア充とおよそアニメを見に来ないような若者、
それと熟年夫婦で9割方埋まっていた。平日の真昼間なのに。

いろいろ気になるところや細かく突っ込みたいところも目立つが、
綺麗にまとまった佳作だった。
誰かがどこかで「シン・ゴジラは一刻も早く観にいくべき作品だが、
君の名は。は若いうちに観に行かなければならない作品」と言ってたが
その言葉がすんなり飲み込めるような、青春現代ファンタジーだ。
突っ込みたいところや感想が溢れでてきて
ネタバレ覚悟で誰かと熱く語りたくて仕方ないけど、
そんな野暮よりも話が動き出してからの展開に身を任せて
素直に楽しむのが最善手かもしれない。

しかし、この作品がスマッシュヒットするならば、
細田時かけやたまこラブストーリーももっと高く評価されても、とも思うが、
先達が築いた数々の青春アニメ作品を経て、また数年前と比べても
アニメ・オタク文化が根強く浸透した時代になったからこそ、
ようやく世間とハイパーリンクして花開いたのが「君の名は。」なのかも、と
考えると、それはそれでちょっとようやく気は熟したかと感慨深い。

先日、テレビ録画サーバーのHDDを整理してたら
数年前の正月に放送した新海誠監督作品一挙放送の録画が出てきた。
いつか見ようと思ったまますっかり忘れてたけど、これもそろそろ見頃かな。


この夏が来る前から最も期待してた映画は
ゴジラでも君の名はでもなく、「不思議惑星キン・ザ・ザ」のリバイバル上映だった。

平沢進リスナーなら一度は耳にする旧ソ連グルジア発のSF映画。
日本では昭和の末期にVHSで流通、アンダーグラウンドなカルト人気を得て、
その人気に押されたのか、21世紀を迎えた頃に
ニュープリント・新訳字幕でミニシアター上映とDVDリリース。
…されたまでは良かったが、ほどなくDVDも廃盤。
再び知る人ぞ知るカルト映画になってしまった。
一時期はAmazonのマケプレでもDVDが数万円とか値段がついてたっけ。

それが今年、デジタル・リマスター版が再びミニシアター上映されることとなり
私が暮らす地方にもやってくるというニュースが飛び込んできた。
封切日に行きたかったが仕事スケジュールとうまく噛み合わず、
上映終了間近の平日になってようやく見に行けた。

DVDも持ってはいるが、手元にあるとなかなか見返さないもので
通してみたのは10年ぶりかもっと前かもしれない。
大まかなあらすじは覚えていても中盤以降のエピソードはかなり忘れていた。
前に見た時は全体的に冗長なイメージだったが、
久しぶりにちゃんと見て、覚えてたよりも起伏ある筋書きで
旧ソ連体制の寓意的描写をさておいても
ディストピアSFとしてしっかりと面白い作品だった、と感じたのは収穫だった。
あらかじめあらすじが頭に入ってたから、訳の分からない情報が整理されて
昔に比べて見やすかったというのも、あるかもしれない。

パンフレットの解説が2001年版からの転載ばかりなのがやや残念。
もうちょっと気合を入れて作って欲しかった。



この後も気になる映画がいくつかある。
なんといっても見逃せないのが「聲の形」。
待ちに待ってた山田尚子監督の最新作。
たまこラブストーリーを見た時のショックは忘れられない。
話題になると良いなあ。

もうひとつ。映画館のチラシで初めて知った「築地ワンダーランド」。
閉場目前の築地市場をテーマにしたドキュメンタリー映画とのことで、
予告編からして美味しそう。これは見に行ければ行きたい。
映画の他にも見に行きたい特別展の開催がいくつも待ってるし、
見逃せないライブも迫ってて、この秋も忙しくなりそう。




2016年7月13日水曜日

テーマパーク京都

日帰りぐらいの遊び先に「京都」という選択肢が増えたのはここ数年のことだろうか。
中京圏で思春期を過ごした者のご多分に漏れず、
遠出の遊び場といえば花の都東京方面にしか目が向かなかったが、
それまで修学旅行でしか行ったことがなかった京都に
ご縁ができたのは10年ぐらい前のこと。
妻がお世話になっている大阪能勢の自転車屋に
我が家から車で行くときは京都市内を横断するのが
当時は一番の近道だったからだ。


せっかく京都を通り過ぎるならどこかに寄って遊んでいきたい、
しかし当時は日本史にもあまり興味がなく、
京都の街なかの知識もさほど蓄えてなかったので
いわゆる観光地を足早に二、三ヶ所ほど見て目的地へと急ぐことが多かった。

そのうちに安くて美味しい京都グルメの存在に気づく。
豆腐屋が経営するお茶屋の千円以下で食べられる湯豆腐や、
地元の人が普段遣いしてるおまんじゅう屋の和菓子に
茶房で提供されるお抹茶とお菓子、
実は銘店が多いパン屋やB級グルメなどなど、
行列もできるが確かに美味しい店が粒ぞろいだった。


食事に釣られて街なかをてくてく徒歩で動き出すと、色んな物が見えてくる。
駐車場から目的地までの道脇にある小さなお寺に
私でも知ってるような重要文化財の仏像があったり、
なんの気なしに歩いてた路地の角が歴史的史跡だったりと、
なにしろ千二百年の歴史ある古都で
ここ数百年は戦火にも焼かれてないから
地層の積もり方が半端ない。
ガイドブック片手に調べ始めた時にはすっかり京都にはまってた。


ここ数年は博物館や美術館で催される展覧会にも興味が湧いている。
きっかけは京都国立博物館での鳥獣戯画全幅公開を見たことで、
それまで日本美術にはほとんど興味なかったが
他の様々な日本画を見ていくうちに、
浮世絵も鳥獣戯画も狩野派も絵巻物も琳派も禅画も
それまで「日本画」の括りで一緒くたにしか見てなかったものを、
日本美術体系のなかでどのように変貌を遂げていったのか、
本流の日本美術とはどのような作品を指して
それら本流に対するアンチテーゼとしてどんなものが作られたのかを
一から学んで作品を見ていくのは、知的興奮を刺激されて楽しい趣味となった。


美味しいグルメ、至る所にちらばる名所旧跡、
年がら年中みどころに事欠かさない街。
こんなイベントだらけのスポットを
いつかどこかで経験したっけなーと思い起こしてたら
万博の雰囲気に似てるような気がしてきた。
乱暴な物言いをすれば街全体がテーマパークみたいなところである。

自分たちみたいに安く遊ぼうとしてもそれなりに楽しめる。
ちょっと背伸びすれば桁が違うような格式ある料亭でも
体験版みたいな朝食コースを味あわせてくれる。
いかなるステータスがあっても一見さんはお断りの世界もあるという、
多層レイヤーな社会も透け見えて奥深い。
それこそ千年もの間、天上人から町人まで生き続けてきた
歴史ある階級社会が今でも街中にどっしり根付いている感覚がある。

住むとなると大変そうだが遊ぶ程度なら遊びきれないくらい遊びどころがある。
世界中から観光客がやってくる街の魅力がなんとなく分かってきた。
こんな観光都市に車で片道2時間程度で行けるのは有難い。
まだまだ到底回りきれてないので気長に遊ばせていただこう。







2016年7月6日水曜日

中野テルヲ 20th Anniversary [Live160609]

東京公演も終わったのでひと月前のライブ感想を。


ソロライブワンマンを見るのは14年ぶり。
その間にイベント出演ライブを何度か見たけども、
やはりワンマンでの異色なステージ機材構成は眼を見張るものがある。

今回、目についたのは向かって左側に設置されたダミーヘッド。
ステージの現場でバイノーラル録音したところで出音には効果ないだろうし、
はてどのように使うのやら、と訝しんでたら、
その直下に備え付けられたテープレコーダーとセットになってて、
直接ループテープサンプリングが始まった。
ダミーヘッドの耳元にあるマイクに耳打ちするかのごときポーズで。
…若い子のファンが大勢を占めるようになったから出来る技だなぁ…。


そんなパフォーマンスも含めて、総合的に感じたのは
アーティストとしての若返りを目的としたブラッシュアップが効いていた。
かつての中野テルヲライブといえば、一言で言えばストイックな、
まるで客席とステージの間に薄い透明壁でもあるかの如く、
隔てられた孤室でおこなわれる音楽実験を目の当たりにしてるような印象だった。
これは2000年代の長きに渡る活動休止から復帰した直後のライブでも
程度の差はあれども受けた感想だ。
それが中野テルヲのパブリックイメージの一端でもあった気がする。

ところが、それから数年を経て久しぶりに見たライブは
観客からの反応をアグレッシブに受け止めてさらなるパフォーマンスに繋げる、
電子音楽を主体としたベテランアーティストらしからぬ
異形のコール&レスポンスが成立するステージングに変容していた。


長年の盟友や自分のキャリアより若いアーティストとの共演に加え、
おそらく制作スタンスとマッチした所属事務所と
スタッフのバックアップ体制も大きいだろうし、
そしてなにより、現在の客層を支える若いリスナー達からも影響を受けているのだろう、
間違いなく我々が追っかけてたころの中野テルヲよりも
現在のほうが若々しい表現スタイルになっている。
そしてそれはとても官能的で魅力あるステージだ。


今回のライブには久しぶりに妻を誘った。
20年前の彼女は、私よりも熱心に中野テルヲを追っかけてて、
P-MODELと中野テルヲが同じ渋谷で同日同時間帯にライブを催した
伝説のダブルブッキングではテルヲを選んだほどのヘビーリスナーだったが、
ここ数年はテルヲライブからは遠ざかっていた。
そんな妻にこそ今の中野テルヲを見てもらいたかったのだ。
終演後には珍しく興奮気味に感想を語り、
「誘ってくれてありがと」と言ったときの表情は
とても楽しそうだった。

プロミュージシャン歴30年、ソロ活動スタートからも20年を過ぎて
活動を総括するどころではなく、ますますスケールアップする中野テルヲ。
この先に拡がる創作活動にも期待。


中野テルヲオフィシャルサイト発表より転載)

Uhlandstr On-Line
IDは異邦人
Amp-Amplified
Raindrops Keep Fallin' On My Desktop
Pilot Run #4
ファインダー
フレーム・バッファ I
Mission Goes West
スパイ大作戦
Ticktack
今夜はブギー・バック
宇宙船
Run Radio III
Dreaming
虹をみた
ディープ・アーキテクチャ
Let's Go Skysensor

EN1. グライダー
EN2. Yesは答えをいそがないで
EN3. フレーム・バッファ II



ライブグッズ:20周年記念Tシャツ。
展示品を販売してくださって感謝。


2016年7月5日火曜日

生き物と個性

我が家では30kgのズタ袋に入ったウッドチップを常備しててる。
そんなものは競走馬の調教用ぐらいしか縁のなかった単語だが、
数年前から家に置かれるようになった。
元々は燃料用のペレットとしての製品らしいが、
これが猫トイレの砂代わりとして有用なのだ。

ウッドチップの上で猫が用を足すとチップが水気を吸って分解する。
匂いは木材の香りが強くてほとんど気にならない。
システムタイプの猫トイレなので分解した粉は下に敷いてるシートに落ちる。
我が家の場合は週2~3回の交換で済むし、猫も嫌がることなく使ってる。


現在は5匹の猫と暮らしてるが、年長である10歳オーバーの2匹は
猫砂を決して使うことなく、幼少から親しんだペットシーツを愛用しており、
若者組3匹がウッドチップと固まる猫砂トイレを使ってる。
逆にそいつらがペットシーツを使ってるのを見たことがない。
よくよく観察すると猫もなかなか頑固だ。

12歳になるボス格の黒猫がドライフードを食べる時は、
そそぐときにカラカラとクリスピーな音を立てるエサ箱でしか食べないし、
去年仲間入りした白猫は、腎臓が弱い最年長サビ猫専用の療養食が大好きで
自分の分を早々に食べ終わった後は、わざわざサビ猫のところまで行き、
奪いとってまでも他人の療養食をむさぼり食ってる。


実家に暮らしていた頃も犬や猫を飼っていたが
一頭飼いだったので犬や猫に個性があるとは考えることもなかった。
しかし猫を多頭飼いし始めてからは、それぞれの個性の強さに
面食らいながらも、それが大きな魅力だと知らされた。
一時期飼っていたランチュウも意外と個性があって
魚類あなどりがたしと唸らされた。


小さい頃からカエルが大好きで、図鑑を見てはモリアオガエルや
シュレーゲルアオガエル、カジカガエルをいつか飼いたいと願っていた。
だが、子どもの時分にそこらへんのカエルを捕まえては、
生半可な知識で飼おうとして結構な命を無駄にしてしまったので、
それを反省して両生類には手を出さないように自重している。

自然のままの姿が一番可愛いと納得して所有欲を絶っているが、
あいつらも飼ってみたら個性があるのだろうか。
ちょっとだけ気になる。

2016年6月26日日曜日

喬太郎の犯罪

喬太郎にまんまとしてやられた。

名古屋・伏見で柳家喬太郎独演会「喬太郎のラクゴ新世界」を見た。
年二回開催、今回で25回目、キャパ約250人、次回前売券が会場先行前売でほぼハケるのが特徴の、
喬太郎名古屋独演会のホームグラウンド的落語会だ。
それだけに演者と観客の共犯関係も成立する密度の濃い会でもある。


開口一番は弟弟子の柳家小太郎。
この会ではお馴染みの準レギュラーでかれこれ5年は開口一番を務めている。
開演前に名古屋では初めての小太郎独演会のチケットを
自ら販売していたが、予想外に苦戦したようで
まずはそのことについてのボヤキ節から。頑張れ小太郎。
ボヤききってから、この季節の噺をということで「蚊いくさ」。
剣術にはまって文無しになった町人が家の中に群がる蚊と一戦交えるという噺。
小太郎さんはこの会での開口一番で、いわゆる定番噺ではないような
なかなか聞けない珍しい噺をたくさんかけてくれるので新鮮。
回を追うごとに成長していく姿も見てこれたので、8月の名古屋独演会が個人的にはとても楽しみ。


続いて喬太郎師匠登場。
「名古屋にはしょっちゅう来てるから枕のネタがもうない」
「お客の顔ぶれもいつも一緒でしょ?」などとぼやきつつ、学校寄席の話題でたっぷり30分。
その話題の中で落語と講談の違いに触れた時、
「名古屋の落語会に遅刻しそうな兄弟子と連絡を受けた弟弟子」と設定を决め、
それを落語・講談・浪花節の手法を用いて即興で演じ分けるという、
余話とは思えぬほどの芸が披露されて拍手喝采。

そこからの一本目は品川心中。前から聞きたいと思ってた噺の一つだが、
喬太郎師匠で聞ける日が来るとは思ってもおらず、ちょっとラッキー。
心中とは銘打たれているけど悲劇でもなくドタバタ喜劇。
師匠お得意の可愛げのある熟女とそれに惚れ込む優柔不断な男の、
心中を企ててるというのに緊迫感のかけらもないやりとりが笑いを誘う。


仲入り後は枕もそこそこに、宿屋の主と女将が登場、
そこに長逗留する絵師が出てきた…とくれば、おなじみの抜け雀。
この噺を聞いたのはいつ以来だっけなあ、と思い起こしながら前半のやりとりを眺めてると、
「宿代の代わりに絵を描いてやるから紙を持って参れ」と命令する絵師に対して、
宿屋の主が出してきたのは裏手に置いてある土管。
その瞬間、観客の半分ほどがドカンと爆笑。
そう、抜け雀ではなくウルトラシリーズ改作落語の抜けガヴァドンだった。


名古屋の喬太郎マニアが集う会だから、喬太郎師匠が特撮マニアで
ウルトラシリーズを題材にした改作落語をいくつも持っていて、
その中に抜け雀を改作した抜けガヴァドンがあるというのは大半の客は知っている。
しかし、それらの噺をするならば、ある程度は枕で関連性のある特撮トークを振るのもまたセオリー。
それに仲入り後の枕が短い時は作品の世界観を大切にするときだから
これは古典の人情物に相違ない…と、布石をいくつも打っておいて、
「土管」の一言ですべてを裏切った確信犯の抜けガヴァドン。
そこからは独走状態の狂太郎ワールド全開で、割れんばかりの大爆笑だった。


上野鈴本演芸場では来月末に「ウルトラ喬タロウ」と題して、
10夜連続で円谷プロ作品をモチーフにした落語をかける喬太郎主任興行が行われる。
地方の喬太郎ファンとしてはとても羨ましいが、
今日の抜けガヴァドンを見ての驚きは普通にウルトラ落語を聞いただけでは味わえない。

喬太郎師匠が枕で触れたとおり、回を重ねて毎回の客の顔ぶれがほとんど変わらなくなった
マニア密度の濃い会場で気づかぬうちに伏線を張られ、
ミステリのように裏をかかれたまま不意を突かれての種明かし。
この会ならではの共犯関係が成り立ってるが故に可能な業だと膝を打った。
また、この試みは今回限りともなろう。これもまたライブ演芸の醍醐味である。



2016年6月23日木曜日

ライブ記録は撮らないでほしい、けど

なんとなく前記事の続きっぽいものを。
楽しかった思い出の一つがYouTubeに上がってるのを見かけた。


ライブを見に行くのは楽しいが、楽しんでる自分の姿が記録に残るのは、
後から見返したときに恥ずかしいので、好きではない。

P-MODEL・平沢進ライブのチケット運が一時期とても良くて
かなり前の方で見れたことが何度も続いたことがあり、
それは貴重で楽しい時間を過ごせたのだが、
後に発売されるライブビデオを見直すと
客席に妙な笑顔で映り込んでる自分の姿を見つけて頭を抱えてしまう。

またあるときはP-MODELの捏造ライブ盤を作るために
観客のガヤを新たに録音するという企画があったときに、
わざわざ志願してセリフを叫んだというのに
完成してリリースされたそのCDを10年ぐらいまともに聞けなかった、ということもある。


それでも客席に写る自分の姿で、思い出深く気に入ってるものがある。
「LIVE 点呼する惑星」のアンコール“I will survive”だ。

点呼する惑星インタラで主人公のAstro-Hue!を演じたRangのオンステージ、
三日間公演のうち、初日と二日目は本編と同様に、
観客ほぼ着席のままRangの一人舞台を見守る状態だった。
初日のアンコールを見て「これはアンコール立つべき」と直感したが
当時のインタラ着席同調圧力はなかなかのものがあり、
二日目も立てずじまいでアンコールは過ぎ去った。


しかし二日目の客席を観察すると、立つか立たざるか戸惑ってる人達を
他にもそれなりに見かける。これは最終日は衝動に任せようか。
果たして最終日の“I will survive”、
Rangが客席にコールしてテンポアップする中盤のタイミングでスタンディング、
ついでに身振りで周りに促してみた。

これが功を奏したと、手柄を求めるような短絡的な思い上がりは決してないし、
同時多発的なものだったのが実際のところだろう。
しかし、ベストタイミングだった自信はある。
その瞬間、観劇スタイルを押し通したそれまでの会期中とは一変して、
会場一体のライブステージに様変わりしたのは気分が高揚する経験だった。


後日発売されたライブビデオに、その光景が記録されている。
両手で周りに立席を促す姿もしっかり残ってて、顔から火が出る思いだ。
だけど悪い気はしない。これも楽しかった思い出の一つである。


2016年6月20日月曜日

地図帳拡げて

今月は三つのアーティストのライブを見た。
いずれもキャリア20年以上のベテランで、およそ十年ぶりに見た人達ばかりだ。
その間に長いあいだ活動停止していた人や、バンドのスタイルを変えた人もいる。
懐かしい思いで見たバンドもあれば、進化に目を見張る演奏もあり、
二度と見ないかなと決意する方向性へ舵を取っていた人もいた。
20年近く前に一度だけ生で見たベテランドラマーが
あの頃となんら変わることなくスネアをアタック極強で叩いてたのは
なんとなく嬉しかった。


20代の半ばの1~2年ほど、毎月のように東京に遠征して
気になるバンドのライブを見たりした頃もあったが、
家庭の事情が変化するにつれて、音楽からも東京からも遠ざかっていった。
新しい音楽を開拓するほどの情熱がなくなった今、
何か聞きたくなったら、その頃に蓄えた音楽を呼び覚ます。
それが私の青春だったと振り返るほどのものではないけれど
楽しかった思い出の一つではある。
ライブに足を運ぶことは趣味の優先順位として低くはなったが、
機会とタイミングが合えばまた行くのも悪くないかなと思う夜だった。

2016年6月13日月曜日

MMG

この年齢になると、身体的な老化現象っぽいものを色々と感じる。
首回りの発疹が治まらずに塗り薬が欠かせなかったり、
先月ぐらいからは右肩の筋が痛いままで、寝違えだと思ってたら
どうやら四十肩の始まりではないかと考え直したり。


そんな症状の中でも、ここ数年の懸案は耳毛だ。
三十を過ぎた辺りから眉毛の中にやたら太長いものが混じってきて
見つけるたびに切ったり抜いたりと対処していたが、
ある日、鏡を見ながら耳たぶを引っ張ったら、
耳の付け根から眉毛やヒゲとタメを張れる立派な太さの毛が生えてた。


めちゃめちゃびっくりしたが、それからよく観察してみると
耳の穴のフチにあるトンガリ(耳珠というらしい)のてっぺんや
穴のそばに太くなりかけの毛が何本もあるのを見つけてしまった。
このままでは「おふくろさん」の作詞家先生のようになってしまう。


耳毛の永久脱毛を調べるほど、一時は神経質になったが
今のところは生えてくる本数も多くないので
まめにチェックして早めに抜くことで手入れできている。
しかしこの経験は思わぬ副作用を招くことになった。
同僚や知人の耳毛までも気になるようになってしまったのだ。


仕事の真面目な話をしてるときでも相手の耳元に目が行って仕方ない。
なぜそれが気にならない!?というレベルで生えてる人もいる。
眉を整えピアス穴を開けてるような人でも耳毛にはガードが甘い。
また、髪の毛が多かったり眉毛が太い人は耳毛が生えやすい気がする。


近年は鼻毛を手入れするのがマナーという風潮も根付いて、
鼻毛切りばさみや鼻毛カッターなど商品展開されるようになり、
普通の社会人で鼻毛を伸ばしっぱなしにしてる人はよほど見かけなくなった。
次のビジネスチャンスはここに眠っているかもしれない。

2016年5月31日火曜日

この湯葉とは何だ

ご挨拶代わりにタイトルとかハンドルとかのご説明。


湯葉が好きです。
煮物に入ってると食感が楽しいし、引き上げ湯葉は面白い。
美味しいものだと刺し身で食べても良し。
なかなか食べる機会がないのが残念。


もちろん単純に好きな食材ではあるんですが、
「湯葉」を通り名に使い始めて、もうなんだかんだ長いです。
それこそ20年近く前になりますか、
自前で持ってたネット掲示板の名前も湯葉でした。
他にも普段使ってる方のハンドルネームに
そぐわないような所では、ちょこちょこと使い分けたり、
ちょっと前の話だと某声優ラジオに採用されたときのラジオネームや
あのゲームでの提督名も湯葉をもじった名前ですか。
私にとってはミドルネームみたいなもんです。


正直に言えば普段のハンドルよりも使い勝手は良いので
取っ替えてしまおうと何度思ったことか。
しかしその頃には「名刺」として重宝するほどにあっちの名前が育ち
一般名詞であるこちらの食品名称よりも明らかに便利なのでした。


次になにかやるときはこっちの名前で気ままにやるんだーと
折々で煮詰まった時に逃避してたので今回採用。
薄っぺらいのを巻いて巻いて煮詰まる寸前の煮浸し。そんなイメージ。

でもプロフ写真は辛子豆腐なのなー。

熱湯で数分茹でて戻すべし

日記っぽいものをやるためにこの場所を借りました。
こういうの何年ぶりだろか。

この数年、ツイッターを日記代わりに日々の備忘録として使っておりまして。
あの手軽さと速報性は、何者にも代えがたいものがあるのはご承知の通り。
しかし、アーカイブとしての機能は絶望的なまでに成し得ない、と
やはり結論付けなきゃならないのが実感です。
どんなライブを見て何がかっこよかったんだっけ。
あの落語家の高座はどんなところが面白くて感じ入ったっけ。
天気が良かったあの日はどこまで走って何を見たっけ。
誰それとどんなことをして過ごして楽しかったんだっけかな。


加えて、ツイッターの特性上、速報性に長けている反面、
熟考して考えをまとめることが昔に比べて不得手になった気がします。
インプット系情報収集の目的においては
速報性と簡便性の点で屈指のツールだけど、
アウトプットに至っては思考の蛇口の垂れ流しでしかなかった。
私にとってツイッターでの発信発言ってのは
あまり向いてないツールなんだと痛く思いました。
要所を捉えて簡潔かつ迅速に発言するのが苦手なんだろな。
大喜利苦手です。
それでも数年間はトレーニングのつもりでツイートしてましたが、
自分がなにか表現するんだったら、ツイッターのような速度感重視よりも、
もうちょっと貯めこんでこねくり回してから外に吐き出してたほうが
(比較的)まだマシなものが表せたような気がしてきた。


ツイッターの限界については、始めた頃からなんとなーく気づいてたり、
(数年前にちょっとまとめてみたり)
稼働中のブログは持ってるけど、あまりに限定的な対象を扱ってるから
そこから外れる衝動をまとめることができずに地団駄踏んだり。
(むりやり書いて失笑を買ったり)
なんか、ずーっと長い間、違和感を抱えながら馴染むことなく
ツイッターに取り憑いてた気がしてたので
長文書いて記録できる場所にアウトプットの方向を傾けます。
でもツイッターをすぐやめるのはなんだかもったいないので
(指向性を持たせた情報収集にはこれ以上ないツールですし)
脊髄反射的ツイートや、他人様に情報バトンを渡すツイートはそのままに、
なにかの感想とかちょっと熟考する記録のようなのはこっちに流して。
個人的にはリハビリ感覚なんですが、このまま乾いちゃうのも悪くない。
どうぞ引き続きお付き合いいただければ幸いです。