2016年9月29日木曜日

みりんのふるさと

碧南市の藤井達吉現代美術館に河鍋暁斎展を見に行った。
離れた臨時駐車場に車を停め、美術館への道を歩いていると
どこからか米が炊けたときのような、食欲をそそる香りが漂う。
香りの元は美術館前の道路を挟んだ向かい側、
歴史と風格を感じる白壁に掲げられた「九重味淋」の看板。
もち米を蒸すみりんの蔵元からの香りだった。

香りに誘われるままに直売所へ吸い寄せられると、
そこは昔ながらの事務所の一角に設けられた実直な売店、の真ん中に接客係のPepper。
しきりに会話をせがんでくるPepper相手に軽快トークを見せないと
やっぱり売ってくれないのかな、と身構えてたら
ほどなく女性社員が応対に出てきてくれて、心の底から安心する。
看板商品である本みりん九重櫻と原料にみりん粕を用いたラスクを購入した。

実は先日、とある酒屋の前を通ったら
袋詰めのみりん粕が売られてたのを見かけて
そのうち食べるつもりでなんとなく購入したり、
飲用に向くみりんのレビュー同人誌を書店で見かけて衝動買いしたりと
なぜかみりんづいてる。
その本によれば私の住む地方の近隣は
江戸時代からの歴史あるみりんの産地らしくて
今でもみりんの名品を作る蔵元が多いとのこと。
和風料理ぐらいでしか味わう機会がなかったみりんだが
良い機会なのでいろいろ試してみると世界が広がるかも。
下戸だから舐める程度にしか味わえないんだけど。


2016年9月21日水曜日

キクをミル / 映画「聲の形」

映画「聲の形」を見た。
アニメけいおんシリーズ・たまこまーけっと・
たまこラブストーリーを手掛けた山田尚子監督の最新作で、
原作も週刊少年マガジン連載時に話題となった作品である。
映画化のニュースとスタッフ発表以来、封切りを心待ちにしていた。
しかし上映開始と仕事のスケジュールがうまく合わず、
間隙を縫って初日土曜のレイトショーに駆けつけたが、
初見では多数のエピソードを整理しきれずに表面的な感想ばかり生まれる始末。
それと同時に再び見たいという衝動と、
モヤモヤした思いを自分なりに消化したいと直感したので、
日を改めて再鑑賞する機会を伺っていた。
以下、映画本編を見た後の感想置き場につき
未見の方はネタバレ注意。



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2016年9月14日水曜日

名古屋ボストン美術館「俺たちの国芳、わたしの国貞」

名古屋ボストン美術館「俺たちの国芳、わたしの国貞」を観た。
春のbunkamuraザ・ミュージアム、夏の神戸市立博物館を経て、ようやく名古屋へ巡回。
初週の平日とは思えぬほどの入り具合、しかし大混雑とまでは行かず
じっくり見たい作品も少し待てば独り占めできるぐらいで、
ちょうど良い塩梅で楽しんでこれた。


今回の展覧会で目を惹かれたのは
「三代目尾上菊五郎の名古屋山三、六代目岩井半四郎、五代目市川海老蔵の不破伴左衛門」
「二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛」だ。

二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛


歌舞伎が大好きな毛利の若殿様が国芳や国貞に摺らせた特注品で、
版画とは思えぬほどの繊細な彫り線や、金銀特色も加わった上品な色使い、
さらには「空摺り」と呼ばれるエンボス加工まで施されており、
町人向けに量産された錦絵とは一線を画した技術がつぎ込まれてて、
それはとても見応えあった。

国芳の細部まで緻密に描き込まれた世界観とマンガチックに大胆な構図、
国貞の本流を押さえながらも女性の生活を機微に描いた作品、
それぞれを比較しながらも、どれも見ていて飽きない作品ばかりで
保存状態も良い物が並んでおり、とても楽しいひとときであった。


ところで、当時人気だったのはやはり歌舞伎だったようで
歌舞伎役者のブロマイド的な作品がいくつも並んでおり、
歌舞伎の知識も嗜んでいると浮世絵鑑賞は捗りそうだ、と見ながら感じてた。
例えば市川團十郎や尾上菊五郎といった留め名の大名跡から、
成田屋や音羽屋などの屋号、それぞれの得意とした演目…。
たまたま先日読んだ「歌舞伎一年生」が初心者向けに解説されてて
そこらの知識を一夜漬けできたのが今回とても役立った。
当時の庶民的な風俗や世相をダイレクトに取り込んだ消費アートだから
その手の知識も詳しくなれば、より楽しめる気がする。
そんな点でも勉強になった日だった。

2016年9月10日土曜日

葡萄の季節

ここ数年、夏の味覚の楽しみにぶどうが加わった。

子供の頃はどちらかと言えばそんなにぶどうが好きじゃなかった。
食卓に上がるのはデラウェアか巨峰のどちらかで、
食べやすいけど酸っぱさが先に目立って粒の数が多くて食べ飽きるデラと、
甘い大きいと親が有難がってた巨峰の方は
皮は剥きにくいは種はデカいは面倒だはで、好んで食べた記憶がない。
生活圏にコストコができたころに
輸入品のシードレスグレープを試しに買ったが、
確かに食べやすいけども甘さは薄いし割高感はあるし、
結局、繰り返し買うものにはならなかった。


転機が訪れたのは数年前。妻がある日、
「この近くの町はぶどうの名産地らしい。
 色んな種類のぶどうを育ててるんだって。食べたい。」
…と、つぶやいた。
ぶどうなんて巨峰かデラウェアかマスカットぐらいじゃないの?と
訝しみつつ調べてみたら、自分が知らないだけで、
世の中にはお米のそれ並みの品種が出回っており、
中にはゴルビーってソ連の書記長みたいなやつもいた。
(とか思ってたらホントにそれが由来だった)


そんな会話をしたのが10月ぐらい。
そのときは知らなかったがこの辺りのぶどうの旬は8月。
ということでその年はお預け。
翌年の夏がやってきた頃、満を持して美味しいぶどうを探し始めた。

やはり売れ筋なのか主流なのか、巨峰をメインに育ててるぶどう園が多く、
でもどうせならなるべく多種多様な品種を中心にやってるところに行きたいな、
だけどそんな都合の良いところあるのかな、と思いながら農道を車で走ってたら、
「ピオーネ」「ゴルビー」などと書かれたのぼりを発見。
誘われるがままに行ったら、栽培品種が十数種類、
さらに看板犬のワイマラナーとトイプードルが激烈可愛いという、
我々にとってのエルドラドのようなぶどう園に巡りあった。

よく冷えた試食用のぶどうは甘く美味しく、
種のないもの、皮ごと食べられるもの、などなど多種多様で、
いくつかの品種を見繕って買ったが、
どれもこれも眼から鱗が落ちる勢いで大変美味しかった。
特に我が家で人気が高かったのはシャインマスカットで
甘い・香りが良い・実がしっかりしてる・粒が大きい・皮ごと食べられる、と
「ぶどうってこんなに美味かったのか…」と思い知らされた。
これはリピートせねばなるまい、と改めて買いに行ったら、
シャインマスカットは比較的、早生の品種のようで既に取り扱い終了、
また翌年まで持ち越しで肩を落としつつ他の品種を買って帰ったこともあった。


結局、その年の夏は事あるごとに通い、様々な品種を食べ比べた。
いろいろな種類を食べることで食べ慣れた巨峰の美味しさを改めて認識したり、
流通ルートを経てスーパーに並ぶものより朝採れ新鮮な方が明らかに甘いこと、
食べ比べて自分たちの好みの食感や味の指標ができたのは貴重な経験だった。

旬が過ぎ去った秋冬頃からは翌年のためのぶどう貯金まで始める始末。
そして今年もその貯金を使い、ぶどうをたくさん食べられた。
シーズン初っ端に当たった大粒のシャインマスカットがマストだったなあ。


今年の旬も終わってしまったけど、また来年が楽しみ。お金貯めよう。

2016年9月7日水曜日

夏の映画の雑感

今年は映画館に足を運ぶ機会が多い夏だった。


7月末の公開直後からただならぬ勢いでTwitterで話題に上がった「シン・ゴジラ」。
ネット依存症気味である我が家でも話題になり、
見に行くしかあるまいと近所のシネコンへと向かってIMAXで鑑賞、
見終わった直後に家計からの支出でサントラ購入するほど衝撃を受けた。
その後ほどなく「社会現象」と呼ぶのにふさわしいブームとなり、
一時の喧騒からはようやく落ち着いてきたものの、
その名を目にしない日はいまだに無い。

特撮映画としても政治劇としても邦画としても、
なにより娯楽映画として心底楽しめた映画だった。
鳥肌が立つような映画をスクリーンで見れて良かった。


シン・ゴジラの爆発的ブームが一段落した頃に
入れ違いでTLに登りはじめた「君の名は。」。
タイトルが繰り返し流れてくるようになってから気になり始めたものの、
この映画の事前情報どころか、新海誠監督作品すらも一度も見たことはない。
幾つかの評判に主題歌を歌うバンドとキャストを当てている俳優の話題、
それと景気の良い興行収入のニュースが届くばかりだった。

逆にここまで来たなら、どんな内容なのかなにも知らぬまま見ようかの、と
気負ったまま乗り込んだ映画館。
そこは噂どおりリア充とおよそアニメを見に来ないような若者、
それと熟年夫婦で9割方埋まっていた。平日の真昼間なのに。

いろいろ気になるところや細かく突っ込みたいところも目立つが、
綺麗にまとまった佳作だった。
誰かがどこかで「シン・ゴジラは一刻も早く観にいくべき作品だが、
君の名は。は若いうちに観に行かなければならない作品」と言ってたが
その言葉がすんなり飲み込めるような、青春現代ファンタジーだ。
突っ込みたいところや感想が溢れでてきて
ネタバレ覚悟で誰かと熱く語りたくて仕方ないけど、
そんな野暮よりも話が動き出してからの展開に身を任せて
素直に楽しむのが最善手かもしれない。

しかし、この作品がスマッシュヒットするならば、
細田時かけやたまこラブストーリーももっと高く評価されても、とも思うが、
先達が築いた数々の青春アニメ作品を経て、また数年前と比べても
アニメ・オタク文化が根強く浸透した時代になったからこそ、
ようやく世間とハイパーリンクして花開いたのが「君の名は。」なのかも、と
考えると、それはそれでちょっとようやく気は熟したかと感慨深い。

先日、テレビ録画サーバーのHDDを整理してたら
数年前の正月に放送した新海誠監督作品一挙放送の録画が出てきた。
いつか見ようと思ったまますっかり忘れてたけど、これもそろそろ見頃かな。


この夏が来る前から最も期待してた映画は
ゴジラでも君の名はでもなく、「不思議惑星キン・ザ・ザ」のリバイバル上映だった。

平沢進リスナーなら一度は耳にする旧ソ連グルジア発のSF映画。
日本では昭和の末期にVHSで流通、アンダーグラウンドなカルト人気を得て、
その人気に押されたのか、21世紀を迎えた頃に
ニュープリント・新訳字幕でミニシアター上映とDVDリリース。
…されたまでは良かったが、ほどなくDVDも廃盤。
再び知る人ぞ知るカルト映画になってしまった。
一時期はAmazonのマケプレでもDVDが数万円とか値段がついてたっけ。

それが今年、デジタル・リマスター版が再びミニシアター上映されることとなり
私が暮らす地方にもやってくるというニュースが飛び込んできた。
封切日に行きたかったが仕事スケジュールとうまく噛み合わず、
上映終了間近の平日になってようやく見に行けた。

DVDも持ってはいるが、手元にあるとなかなか見返さないもので
通してみたのは10年ぶりかもっと前かもしれない。
大まかなあらすじは覚えていても中盤以降のエピソードはかなり忘れていた。
前に見た時は全体的に冗長なイメージだったが、
久しぶりにちゃんと見て、覚えてたよりも起伏ある筋書きで
旧ソ連体制の寓意的描写をさておいても
ディストピアSFとしてしっかりと面白い作品だった、と感じたのは収穫だった。
あらかじめあらすじが頭に入ってたから、訳の分からない情報が整理されて
昔に比べて見やすかったというのも、あるかもしれない。

パンフレットの解説が2001年版からの転載ばかりなのがやや残念。
もうちょっと気合を入れて作って欲しかった。



この後も気になる映画がいくつかある。
なんといっても見逃せないのが「聲の形」。
待ちに待ってた山田尚子監督の最新作。
たまこラブストーリーを見た時のショックは忘れられない。
話題になると良いなあ。

もうひとつ。映画館のチラシで初めて知った「築地ワンダーランド」。
閉場目前の築地市場をテーマにしたドキュメンタリー映画とのことで、
予告編からして美味しそう。これは見に行ければ行きたい。
映画の他にも見に行きたい特別展の開催がいくつも待ってるし、
見逃せないライブも迫ってて、この秋も忙しくなりそう。




2016年7月13日水曜日

テーマパーク京都

日帰りぐらいの遊び先に「京都」という選択肢が増えたのはここ数年のことだろうか。
中京圏で思春期を過ごした者のご多分に漏れず、
遠出の遊び場といえば花の都東京方面にしか目が向かなかったが、
それまで修学旅行でしか行ったことがなかった京都に
ご縁ができたのは10年ぐらい前のこと。
妻がお世話になっている大阪能勢の自転車屋に
我が家から車で行くときは京都市内を横断するのが
当時は一番の近道だったからだ。


せっかく京都を通り過ぎるならどこかに寄って遊んでいきたい、
しかし当時は日本史にもあまり興味がなく、
京都の街なかの知識もさほど蓄えてなかったので
いわゆる観光地を足早に二、三ヶ所ほど見て目的地へと急ぐことが多かった。

そのうちに安くて美味しい京都グルメの存在に気づく。
豆腐屋が経営するお茶屋の千円以下で食べられる湯豆腐や、
地元の人が普段遣いしてるおまんじゅう屋の和菓子に
茶房で提供されるお抹茶とお菓子、
実は銘店が多いパン屋やB級グルメなどなど、
行列もできるが確かに美味しい店が粒ぞろいだった。


食事に釣られて街なかをてくてく徒歩で動き出すと、色んな物が見えてくる。
駐車場から目的地までの道脇にある小さなお寺に
私でも知ってるような重要文化財の仏像があったり、
なんの気なしに歩いてた路地の角が歴史的史跡だったりと、
なにしろ千二百年の歴史ある古都で
ここ数百年は戦火にも焼かれてないから
地層の積もり方が半端ない。
ガイドブック片手に調べ始めた時にはすっかり京都にはまってた。


ここ数年は博物館や美術館で催される展覧会にも興味が湧いている。
きっかけは京都国立博物館での鳥獣戯画全幅公開を見たことで、
それまで日本美術にはほとんど興味なかったが
他の様々な日本画を見ていくうちに、
浮世絵も鳥獣戯画も狩野派も絵巻物も琳派も禅画も
それまで「日本画」の括りで一緒くたにしか見てなかったものを、
日本美術体系のなかでどのように変貌を遂げていったのか、
本流の日本美術とはどのような作品を指して
それら本流に対するアンチテーゼとしてどんなものが作られたのかを
一から学んで作品を見ていくのは、知的興奮を刺激されて楽しい趣味となった。


美味しいグルメ、至る所にちらばる名所旧跡、
年がら年中みどころに事欠かさない街。
こんなイベントだらけのスポットを
いつかどこかで経験したっけなーと思い起こしてたら
万博の雰囲気に似てるような気がしてきた。
乱暴な物言いをすれば街全体がテーマパークみたいなところである。

自分たちみたいに安く遊ぼうとしてもそれなりに楽しめる。
ちょっと背伸びすれば桁が違うような格式ある料亭でも
体験版みたいな朝食コースを味あわせてくれる。
いかなるステータスがあっても一見さんはお断りの世界もあるという、
多層レイヤーな社会も透け見えて奥深い。
それこそ千年もの間、天上人から町人まで生き続けてきた
歴史ある階級社会が今でも街中にどっしり根付いている感覚がある。

住むとなると大変そうだが遊ぶ程度なら遊びきれないくらい遊びどころがある。
世界中から観光客がやってくる街の魅力がなんとなく分かってきた。
こんな観光都市に車で片道2時間程度で行けるのは有難い。
まだまだ到底回りきれてないので気長に遊ばせていただこう。







2016年7月6日水曜日

中野テルヲ 20th Anniversary [Live160609]

東京公演も終わったのでひと月前のライブ感想を。


ソロライブワンマンを見るのは14年ぶり。
その間にイベント出演ライブを何度か見たけども、
やはりワンマンでの異色なステージ機材構成は眼を見張るものがある。

今回、目についたのは向かって左側に設置されたダミーヘッド。
ステージの現場でバイノーラル録音したところで出音には効果ないだろうし、
はてどのように使うのやら、と訝しんでたら、
その直下に備え付けられたテープレコーダーとセットになってて、
直接ループテープサンプリングが始まった。
ダミーヘッドの耳元にあるマイクに耳打ちするかのごときポーズで。
…若い子のファンが大勢を占めるようになったから出来る技だなぁ…。


そんなパフォーマンスも含めて、総合的に感じたのは
アーティストとしての若返りを目的としたブラッシュアップが効いていた。
かつての中野テルヲライブといえば、一言で言えばストイックな、
まるで客席とステージの間に薄い透明壁でもあるかの如く、
隔てられた孤室でおこなわれる音楽実験を目の当たりにしてるような印象だった。
これは2000年代の長きに渡る活動休止から復帰した直後のライブでも
程度の差はあれども受けた感想だ。
それが中野テルヲのパブリックイメージの一端でもあった気がする。

ところが、それから数年を経て久しぶりに見たライブは
観客からの反応をアグレッシブに受け止めてさらなるパフォーマンスに繋げる、
電子音楽を主体としたベテランアーティストらしからぬ
異形のコール&レスポンスが成立するステージングに変容していた。


長年の盟友や自分のキャリアより若いアーティストとの共演に加え、
おそらく制作スタンスとマッチした所属事務所と
スタッフのバックアップ体制も大きいだろうし、
そしてなにより、現在の客層を支える若いリスナー達からも影響を受けているのだろう、
間違いなく我々が追っかけてたころの中野テルヲよりも
現在のほうが若々しい表現スタイルになっている。
そしてそれはとても官能的で魅力あるステージだ。


今回のライブには久しぶりに妻を誘った。
20年前の彼女は、私よりも熱心に中野テルヲを追っかけてて、
P-MODELと中野テルヲが同じ渋谷で同日同時間帯にライブを催した
伝説のダブルブッキングではテルヲを選んだほどのヘビーリスナーだったが、
ここ数年はテルヲライブからは遠ざかっていた。
そんな妻にこそ今の中野テルヲを見てもらいたかったのだ。
終演後には珍しく興奮気味に感想を語り、
「誘ってくれてありがと」と言ったときの表情は
とても楽しそうだった。

プロミュージシャン歴30年、ソロ活動スタートからも20年を過ぎて
活動を総括するどころではなく、ますますスケールアップする中野テルヲ。
この先に拡がる創作活動にも期待。


中野テルヲオフィシャルサイト発表より転載)

Uhlandstr On-Line
IDは異邦人
Amp-Amplified
Raindrops Keep Fallin' On My Desktop
Pilot Run #4
ファインダー
フレーム・バッファ I
Mission Goes West
スパイ大作戦
Ticktack
今夜はブギー・バック
宇宙船
Run Radio III
Dreaming
虹をみた
ディープ・アーキテクチャ
Let's Go Skysensor

EN1. グライダー
EN2. Yesは答えをいそがないで
EN3. フレーム・バッファ II



ライブグッズ:20周年記念Tシャツ。
展示品を販売してくださって感謝。


2016年7月5日火曜日

生き物と個性

我が家では30kgのズタ袋に入ったウッドチップを常備しててる。
そんなものは競走馬の調教用ぐらいしか縁のなかった単語だが、
数年前から家に置かれるようになった。
元々は燃料用のペレットとしての製品らしいが、
これが猫トイレの砂代わりとして有用なのだ。

ウッドチップの上で猫が用を足すとチップが水気を吸って分解する。
匂いは木材の香りが強くてほとんど気にならない。
システムタイプの猫トイレなので分解した粉は下に敷いてるシートに落ちる。
我が家の場合は週2~3回の交換で済むし、猫も嫌がることなく使ってる。


現在は5匹の猫と暮らしてるが、年長である10歳オーバーの2匹は
猫砂を決して使うことなく、幼少から親しんだペットシーツを愛用しており、
若者組3匹がウッドチップと固まる猫砂トイレを使ってる。
逆にそいつらがペットシーツを使ってるのを見たことがない。
よくよく観察すると猫もなかなか頑固だ。

12歳になるボス格の黒猫がドライフードを食べる時は、
そそぐときにカラカラとクリスピーな音を立てるエサ箱でしか食べないし、
去年仲間入りした白猫は、腎臓が弱い最年長サビ猫専用の療養食が大好きで
自分の分を早々に食べ終わった後は、わざわざサビ猫のところまで行き、
奪いとってまでも他人の療養食をむさぼり食ってる。


実家に暮らしていた頃も犬や猫を飼っていたが
一頭飼いだったので犬や猫に個性があるとは考えることもなかった。
しかし猫を多頭飼いし始めてからは、それぞれの個性の強さに
面食らいながらも、それが大きな魅力だと知らされた。
一時期飼っていたランチュウも意外と個性があって
魚類あなどりがたしと唸らされた。


小さい頃からカエルが大好きで、図鑑を見てはモリアオガエルや
シュレーゲルアオガエル、カジカガエルをいつか飼いたいと願っていた。
だが、子どもの時分にそこらへんのカエルを捕まえては、
生半可な知識で飼おうとして結構な命を無駄にしてしまったので、
それを反省して両生類には手を出さないように自重している。

自然のままの姿が一番可愛いと納得して所有欲を絶っているが、
あいつらも飼ってみたら個性があるのだろうか。
ちょっとだけ気になる。

2016年6月26日日曜日

喬太郎の犯罪

喬太郎にまんまとしてやられた。

名古屋・伏見で柳家喬太郎独演会「喬太郎のラクゴ新世界」を見た。
年二回開催、今回で25回目、キャパ約250人、次回前売券が会場先行前売でほぼハケるのが特徴の、
喬太郎名古屋独演会のホームグラウンド的落語会だ。
それだけに演者と観客の共犯関係も成立する密度の濃い会でもある。


開口一番は弟弟子の柳家小太郎。
この会ではお馴染みの準レギュラーでかれこれ5年は開口一番を務めている。
開演前に名古屋では初めての小太郎独演会のチケットを
自ら販売していたが、予想外に苦戦したようで
まずはそのことについてのボヤキ節から。頑張れ小太郎。
ボヤききってから、この季節の噺をということで「蚊いくさ」。
剣術にはまって文無しになった町人が家の中に群がる蚊と一戦交えるという噺。
小太郎さんはこの会での開口一番で、いわゆる定番噺ではないような
なかなか聞けない珍しい噺をたくさんかけてくれるので新鮮。
回を追うごとに成長していく姿も見てこれたので、8月の名古屋独演会が個人的にはとても楽しみ。


続いて喬太郎師匠登場。
「名古屋にはしょっちゅう来てるから枕のネタがもうない」
「お客の顔ぶれもいつも一緒でしょ?」などとぼやきつつ、学校寄席の話題でたっぷり30分。
その話題の中で落語と講談の違いに触れた時、
「名古屋の落語会に遅刻しそうな兄弟子と連絡を受けた弟弟子」と設定を决め、
それを落語・講談・浪花節の手法を用いて即興で演じ分けるという、
余話とは思えぬほどの芸が披露されて拍手喝采。

そこからの一本目は品川心中。前から聞きたいと思ってた噺の一つだが、
喬太郎師匠で聞ける日が来るとは思ってもおらず、ちょっとラッキー。
心中とは銘打たれているけど悲劇でもなくドタバタ喜劇。
師匠お得意の可愛げのある熟女とそれに惚れ込む優柔不断な男の、
心中を企ててるというのに緊迫感のかけらもないやりとりが笑いを誘う。


仲入り後は枕もそこそこに、宿屋の主と女将が登場、
そこに長逗留する絵師が出てきた…とくれば、おなじみの抜け雀。
この噺を聞いたのはいつ以来だっけなあ、と思い起こしながら前半のやりとりを眺めてると、
「宿代の代わりに絵を描いてやるから紙を持って参れ」と命令する絵師に対して、
宿屋の主が出してきたのは裏手に置いてある土管。
その瞬間、観客の半分ほどがドカンと爆笑。
そう、抜け雀ではなくウルトラシリーズ改作落語の抜けガヴァドンだった。


名古屋の喬太郎マニアが集う会だから、喬太郎師匠が特撮マニアで
ウルトラシリーズを題材にした改作落語をいくつも持っていて、
その中に抜け雀を改作した抜けガヴァドンがあるというのは大半の客は知っている。
しかし、それらの噺をするならば、ある程度は枕で関連性のある特撮トークを振るのもまたセオリー。
それに仲入り後の枕が短い時は作品の世界観を大切にするときだから
これは古典の人情物に相違ない…と、布石をいくつも打っておいて、
「土管」の一言ですべてを裏切った確信犯の抜けガヴァドン。
そこからは独走状態の狂太郎ワールド全開で、割れんばかりの大爆笑だった。


上野鈴本演芸場では来月末に「ウルトラ喬タロウ」と題して、
10夜連続で円谷プロ作品をモチーフにした落語をかける喬太郎主任興行が行われる。
地方の喬太郎ファンとしてはとても羨ましいが、
今日の抜けガヴァドンを見ての驚きは普通にウルトラ落語を聞いただけでは味わえない。

喬太郎師匠が枕で触れたとおり、回を重ねて毎回の客の顔ぶれがほとんど変わらなくなった
マニア密度の濃い会場で気づかぬうちに伏線を張られ、
ミステリのように裏をかかれたまま不意を突かれての種明かし。
この会ならではの共犯関係が成り立ってるが故に可能な業だと膝を打った。
また、この試みは今回限りともなろう。これもまたライブ演芸の醍醐味である。



2016年6月23日木曜日

ライブ記録は撮らないでほしい、けど

なんとなく前記事の続きっぽいものを。
楽しかった思い出の一つがYouTubeに上がってるのを見かけた。


ライブを見に行くのは楽しいが、楽しんでる自分の姿が記録に残るのは、
後から見返したときに恥ずかしいので、好きではない。

P-MODEL・平沢進ライブのチケット運が一時期とても良くて
かなり前の方で見れたことが何度も続いたことがあり、
それは貴重で楽しい時間を過ごせたのだが、
後に発売されるライブビデオを見直すと
客席に妙な笑顔で映り込んでる自分の姿を見つけて頭を抱えてしまう。

またあるときはP-MODELの捏造ライブ盤を作るために
観客のガヤを新たに録音するという企画があったときに、
わざわざ志願してセリフを叫んだというのに
完成してリリースされたそのCDを10年ぐらいまともに聞けなかった、ということもある。


それでも客席に写る自分の姿で、思い出深く気に入ってるものがある。
「LIVE 点呼する惑星」のアンコール“I will survive”だ。

点呼する惑星インタラで主人公のAstro-Hue!を演じたRangのオンステージ、
三日間公演のうち、初日と二日目は本編と同様に、
観客ほぼ着席のままRangの一人舞台を見守る状態だった。
初日のアンコールを見て「これはアンコール立つべき」と直感したが
当時のインタラ着席同調圧力はなかなかのものがあり、
二日目も立てずじまいでアンコールは過ぎ去った。


しかし二日目の客席を観察すると、立つか立たざるか戸惑ってる人達を
他にもそれなりに見かける。これは最終日は衝動に任せようか。
果たして最終日の“I will survive”、
Rangが客席にコールしてテンポアップする中盤のタイミングでスタンディング、
ついでに身振りで周りに促してみた。

これが功を奏したと、手柄を求めるような短絡的な思い上がりは決してないし、
同時多発的なものだったのが実際のところだろう。
しかし、ベストタイミングだった自信はある。
その瞬間、観劇スタイルを押し通したそれまでの会期中とは一変して、
会場一体のライブステージに様変わりしたのは気分が高揚する経験だった。


後日発売されたライブビデオに、その光景が記録されている。
両手で周りに立席を促す姿もしっかり残ってて、顔から火が出る思いだ。
だけど悪い気はしない。これも楽しかった思い出の一つである。