2016年12月19日月曜日

泰王国曼谷訪遊記 その3b

先月の下旬に所用でバンコクに行った。
旅行の顛末は別ブログに5回に渡って記したとおりだが、これはその後書きである。
そんなものはあちらに書くのが道理ではあるが、
旅行記として出すべきことは出し尽くしてしまった。
向こうに書くには味気ないような書きそびれを、こちらに記そうと思う。


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いわゆる「タイショック」が大嫌いだった。
私は平沢進アーティスト人生の一大転機「タイショック」で
振り落とされたファンの中の一人である。
解凍P-MODELの2枚と94年ソロアルバム「AURORA」、
それに第一期DIW/SYUNの作品群は、いずれもど真ん中ストライクで
何度も繰り返し聞き、歌詞カードもボロボロになるまで読んだが、
95年に入ってからのリリース作品はまったく肌に合わなかった。

メンバーお披露目を見に大阪ライブにまで駆けつけた
改訂P-MODELも肩透かしを食らった印象だったし、
AURORA路線の発展を期待したソロNEWアルバム「Sim City」は
前作とはまるで違う灼熱と湿気を伴った作風に面食らったものだ。
ほどなく別の趣味にハマった頃にはP-平沢の新譜が出ても買うこともなく、
たまにはP-MODELでも見ようかとライブチケットを買うも
会場まで行く気が起こらずに無駄にしたことも何度かあった。


P-MODELを積極的に聞かずにいたのは2年間ほどのことだったか。
その後、再びP-MODELの新譜を聞き始めて、
改めてP-MODELや平沢ソロに心酔して今に至るが、
それでもタイショック当時の作品は好きになれずに敬遠しがちだった。
もちろん、20年に渡って最も好きなミュージシャンの作品だから
まったく聞かないということはなかったが、
他の作品に比べて再生を選ぶ機会が少なかったのは確かだ。
同様にSP-2に関する記述も真剣に目を通さずにいたし、
書籍「SP-2」も購入以来、熟読まではせずにいた。

タイという国とSP-2を毛嫌いしてるわけではない。
タイ料理は全般的に好きだし、ムエタイにも興味があった。
しかし、平沢作品との結びつきがどうしても理解できなかった。
思えば解凍P-MODELとAURORA路線からの急転回に対して
どこか裏切られた思いがあったのだろう。
あまりの青さに今となっては赤面してしまう。


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私個人の中で平沢作品とSP-2のピースがはまり、
一人で合点がいったのは、どちらかといえばつい最近だ。
2chの平沢歌詞解読スレで遊んでたときのこと、
ライブ「シュート・ザ・モンスター」のフライヤーに書かれてた一節の話題から
幻のアルバム「モンスター」のテーマである「原初の混沌とした女性性」について、
いくつかの資料を紐解いて解説文をまとめたが、それの最後に、

> P-MODELで女性性の表現を成し得ずに終わった数年後、
> 男も女も飛び越したSP-2という存在と出逢い
> その後のライフテーマになるほど彼女達から
> インスパイアされたのは必然だった。

という一文をなにげなくタイプした時、
自分の中のタイショックに対するトゲがすべて抜けた思いだった。
今でも思い出すが、そんなサゲにするつもりで
頭でっかちに考えて書き進めた文章ではない。
あのサゲは自分がそれまでに読んだ数多くのP-MODEL資料を咀嚼しながら
モンスターという怪物を解き明かそうと無謀な闘いを挑んだ上で
最後に天から降りてきたような、そんな不思議なものだ。

書籍「SP-2」を熟読したのは恥ずかしいことに数年前だ。
あの布張りの豪華な装丁は私の読書スタイルに向いておらず、
ドキュメントスキャナを入手したのを機に蛮勇を奮って裁断し、
電子書籍に自炊してタブレットに入れたことで、ようやく読む環境が整った。
もう10年近くまえの書籍なのでネタバレもなにも気にせず書くが、
「母よ。死刑台のダーゴンファイ」の文中で
女性性について触れる場面に差し掛かった時は、
あながち的外れでもなかったと確信すると同時に激しく後悔した。
これをしっかり先に読んでたらあんな文章、こっ恥ずかしくて書けない。


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さて、実際にバンコクの街を歩き、SP-2ショウを見に行って
感じたことのすべてはあちらにまとめたとおりである。
付け加えるならば、SP-2については
「天女から山姥まで」の多面的で巨大な女性性の表情を、
一端でも身をもって体験できたのは、いろんな意味でも貴重な体験だった。

これが平沢さんの庇護の元で開催される点検隊などのイベントならば
平沢さんの監視が光る中で山姥的な側面はほとんど見せないだろう。
持っていかれた現金はそれなりのものだったが、
代わりに平沢さんの庇護のもとではあまり見せぬ側面も覗き見えた。
そういう点でこちらにも実入りのある取引ができた、と今は思う。


タイに行くことが決まった頃からタイショック作品群、
SimCityやSIRENに舟、コレクティブエラー、クンメーなどを集中して聞いた。
帰った今でも、繰り返し好んで聞いている。
あんなに私の肌には合わなかった作品だったのに、
旅行の体験を経て、タイやSP-2の質感がリアルな情景を伴うようになり、
ようやく当時の平沢さんの衝動がどんなものだったのか、沁み始めてる。
やはり百聞は一見にしかず、ということわざ通りなのだろうか。
腑に落ちるのに20年かかったが、良い作品と実感できて儲けものだ。


パスポートも入手したことだし、また機会を作ってバンコクに行きたい。
妻の試算では20万もあれば二人で楽しく旅行できるだろうとのこと。
タイに限らず別の国も面白そうだ。
人生も後半戦にさしかかったことだし、動ける機会を逃さず遊ぼう。

2016年11月15日火曜日

年の瀬プレゼント

気づけば2016年も残りわずかになってきた。
仕事納めが済んだ後の頃に小中学生時代の幼なじみ二人と忘年会を行うので
今年もそのための連絡を取り始めている。

忘年会会場として自宅を毎年使わせてくれる友人には小学生の一人娘がいて、
少し遅くなったクリスマスプレゼントを彼女に届けるのもなんとなくの慣わしなのだが、
のだめカンタービレにドハマりしてるとの事前情報を元に
去年は指揮棒とマウスピースを携えてお邪魔した。

人見知りしがちの娘さんなので、「ふーんありがと」的な
素っ気なさげな反応でその場ではそれ以上触れようとしなかったが
後日、友人から寄せられた連絡によれば、とても喜んでいたらしく、
翌朝からコンダクター気分絶好調で指揮棒振りまくって大はしゃぎで、
マウスピースの方もほどなくアンブシュアができるようになり
音が出せるようになった、とのことだった。


さて、そうなると今年はどうするという話になる。
指揮棒もマウスピースも、それなりのものでもあわせて千円ちょっとで買えたが
マウスピースに合わせる管楽器ともなれば、さすがにそうはいかない。
忘年会の打ち合わせをするときに今年は何に興味を示してるのか、
それとなく聞いてみた。
彼女がいま興味津々なのはトロンボーンだそうだ。
うん、無理。

最近は入門用・練習用でプラスチック製のものがいくつかあるが、
さすがにどれも五桁からのお値段である。
プラスチック製管楽器シリーズのなかには
廉価な入門楽器としてフルートやクラリネットのおもちゃみたいなものもあったが、
評判を見ると一オクターブしか出ないなど芳しくなく、
変なものでごまかしても仕方ない気がしてきた。
いっそのこと響けユーフォニアムのDVDでもあげるか。
それともここはオタマトーンか。
もうちょっと悩もう。





2016年10月19日水曜日

瀬戸市美術館「没後100年 宮川香山」

今年一年かけて東京・神戸・瀬戸と巡回する宮川香山展。
春先からずっと楽しみにしてた企画展で
最寄りの地方へと来るのを楽しみにしていた。

宮川香山といえば代名詞にもなっている「高浮彫」。
会場に入ってすぐの展示室から香山が手がけた高浮彫の銘品が
これでもかと言わんばかりに並べられていて
揚げ物が続く大盛り料理店のような胸焼けを感じたが、
別室に移ると釉下彩という技法で色付された磁器の品の良い作品も並んでおり、
メリハリの効いた展示構成となっていた。

呼び物でもある猫や蟹の高浮彫はもとより、
鳥と花の造形描写には目を見張った。
古来から日本画の中でも花鳥画は数多く描かれており、
それだけ描写技術が洗練されていたためなのか、
それらの立体化への執念と卓越した造形技術を見物するだけでも価値があった。

客層が普段行く企画展とは若干異なっていたのは興味深かった。
平日の昼間とは言え、地元の高齢者が目立ったのだ。
漏れ聞こえる会話に耳をすますと、
陶芸を趣味とする客が多く、教室の先生に
「これは良い展覧会だから」と勧められて来たという人もいた。
地元の作家の展覧会と思ってたとの発言も耳にしたのが、
さすがというかなんというか、焼き物の街らしいと言えば良いのか。

図録は三会場共通のもので、見本を眺めたら
瀬戸会場では陳列されてない展示物をちらほら見かける。
会期中の展示替えによるものではなく、
展示リストによると東京会場のみ・大阪会場のみと注釈されていた。
少し残念だが、瀬戸会場は公共施設だからなのか、
入場料がお値打ちだったのはありがたかった。
ただ、グッズも三会場で売られていたためなのか、
すでに売り切れのものが目立った。

代表作「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指」の猫を模したストラップを
自分用に購入、キーホルダーにつけてみた。

あの化け猫チックで愛嬌ある猫の雰囲気が良く移されてて可愛い。
しばらくこいつと仲良くしていこう。

2016年10月13日木曜日

京都めぐりぶらぶら系

連休が取れたのでそのうち一日を利用して日帰りで京都に行ってきた。
今回はほとんどノープラン、行き帰りのバス予約と
食べたいものだけ决めて他は思いつきで動いてみた。

とりあえず押さえたいのは、この季節といえば出町ふたばの栗餅、
最近ご無沙汰のたま木亭のパンも食べておきたい。
あとはどこかで牛カツサンドを買ったり、時間があったらお茶したりぐらいの
緩めのプランで動いてたら京阪沿線を行ったり来たりすることになりそうで、
そんなルートを眺めてたら沿線上に気になってたスポットがいくつか浮かぶ。
たま木亭の近くにある黄檗宗大本山の萬福寺と
京都五山のひとつに数えられる名刹、東福寺だ。

見事に何の前知識も入れぬまま詣でたが、見どころは沢山あった。
どことなく中華風の意匠が各所に施された萬福寺は
これでもかと言わんばかりに安置された仏像群が見応えあるし、
境内に山内寺院を多数有する東福寺は庭園も清められていて
ザ・京都といった風格が至る所に漂ってた。
行事のために本坊庭園が拝観中止だったのが残念。
どちらも機会があったらまた訪れたい。

食べ物もいつもと変わらず美味しかった。
一番食べたかったのは栗餅だったが、いもあんの福豆大福が絶品だった。
たま木亭のパンでは焼き鳥ももをネギで和えて
柚子胡椒で味付けした「宮崎」なる惣菜パンが好みだった。
しかし、このところ京都で食べてるものが一本調子なので
そろそろ違うところを開拓したいところか。大丸のファミリー食堂が美味しそう。

朝6時前に家を出て7時台のバスに乗り10時には京都着、
19時半のバスで京都駅を発ち、22時前に名古屋へ戻り帰宅は23時前。
丸一日遊び歩いてたが、運転しなくて良いのが何より気楽。
今回は市バスや地下鉄も使ってせわしなく移動してたが
周遊パスみたいなものを買えばもうちょっと節約できそう。
あとはどこかでゆっくりするのも悪くないかも。
何もかも忘れて連泊してダラダラ遊んでいたい。


2016年10月7日金曜日

Moonriders Outro Clubbing Tour in Nagoya E.L.L. 20161006

ムーンライダーズのライブを見るのは4度目、
初めて行ったのは1998年夏の岐阜ライブだった。
そのときの思い出は別ブログにかつて記したとおりだが、
それから見たのが無期限活動休止宣告ライブとかしぶち哲郎追悼ライブなので、
葬式厨と指差されても仕方ない。

結成40周年を記念して「活動休止の休止」を宣言。
7月から年末までフェス参加やライブハウスツアー、
ホールクラスライブを半年に渡って執り行い、
同時に入会金1万円の半年間限定FCも結成する……という、
なかなか刺激的な発表を伝え聞いたのは初夏の頃であろうか。
地元でもライブがあるし、洒落っ気の効いた価格設定だったし、
賞与が出たばかりの懐具合も手伝ってFC加入し、ライブも予約した。
ほどなく発券したチケットの整理番号を確認したら
我が目を疑うような数字で、逆に客入りが心配になったが、
開催前日に急遽、キャパ250人のell.FITS ALLから
キャパ600人のElectric Lady Landへと変更、ソールドアウトした模様。
うひーE.L.L.なんて昔のハコで初期シンセサイザーズを見て以来だよ、などと
思いを巡らせつつ大須へと向かった。

定刻通りに場内暗転し、ほどなくメンバー登場。
上手前方から武川・慶一・良明・博文、後方に岡田・夏秋と、
近年定番の4人フロントに位置取って音出し、からの一曲目は
昨年に患った大病から復帰を遂げた武川がボーカルを取る「水の中のナイフ」。
すでに日程終了しているフェスなどと同様に、
ライブ乗りの良いアッパーな人気曲がずらりと並ぶ中、
随所に「珍しい曲」(慶一談)を挟む、緩急つけたセットリストが繰り広げられる。

信じられないような最前列センターを陣取れたため、
場所が良すぎた分、フロントのモニタースピーカーの音まで聞こえてしまい、
キーボード・ボーカルがギター・ベースに隠れがちだったのは残念。
とても贅沢な悩みではあるが。
その代わり、メンバーの一挙一動を余すところなく見物できて、
BEATITUDEでの慶一と良明のダブルギタリストによる名物足上げステップや
モダーン・ラヴァーズの博文ショーなど円熟のパフォーマンスを堪能した。
ライブ終了後のフロアにはメンバーより若かろう観客がところどころで
嬉しい悲鳴を上げながら疲れ果てている光景が見られた。

円熟と言えば、今日の演奏は心持ちテンポを抑え気味にしてた気がする。
聞き慣れたライブ盤では疾走感ある走り気味の曲も
今日はテンポを堪えて一音一音、匠の技で配置されて
かっちりと構築していくような印象を受けた。ツアー初日だからだろうか。
残念ながら私は今日の名古屋しか行けないが、週末は新宿ロフト2Days、
そのまま来週は大阪香川、翌月に京都金沢とツアーは進み、
師走には中野サンプラザ公演が発表されている。
活動休止の休止という力技を駆使して再び姿を現した噂の怪物は
結成40周年の節目を死に物狂いで駆け抜ける。
その片鱗を名古屋の地で見せつけた一夜だった。
この怪物、見逃すと後悔するぞ。






追記、というほどでもないが、慶一さんの髪型に意表を突かれた。
まさかのリーゼント。

2016年10月4日火曜日

栄華の都 - Movie City

タイトルはちょっと言ってみたかっただけシリーズ。


前に書いたとおり、今年は映画館に向かう機会が多い。
数百人規模の大スクリーンからIMAX、はたまた数十席のミニシアターまで
色んな場所と空間で映画を楽しんできたが、映画内容の感想を抜きにして感じたのは、
デジタル上映の時代になり、映像のクオリティが飛躍的に向上したのを実感した。

少し前まではフィルムについた傷なのか、
映像の端々に一瞬だけ走るノイズのような線や点が気になったものだが、
そういうストレスとは無縁で全編楽しめるようになって良い時代だなーと
とてもおっさん臭い有難みでしみじみとしてしまう。

フィルム時代の映画といえば上映中の映像に
15分か20分間隔で定期的に上の方に穴みたいなのが出てきて
いちど気になり始めると仕方なかったものだが、
あれはフィルムの切り替えタイミングを伝える
「切り替えパンチ」なるものだと知ったときは一つ賢くなった気がしたが、
あれも今の若者たちにはもう完全に縁遠いものなんだろなあ。


思い起こしてみると、不思議惑星キン・ザ・ザの2001年時
リバイバル上映のときはニュープリントが売りだったし、
2011年の映画けいおんぐらいまではぎりぎりフィルム上映だったはず。
ここ数年でデジタル上映に切り替わったんだろうけど、
とにかく映像ベースの向上には目を見張る思いだ。

さらに振り返れば、10年前の夏に見た細田版時かけは
一部で熱狂的に話題になってから劇場に行ったので、
封切りから数週間経ったロングラン上映してるときに見た映像は
けっこう細かいフィルム傷が気になったのを覚えてる。
それに対して、その同年の冬に封切られたパプリカは
上映開始週の早めに見に行ったので、極上に美麗でグロテスクな映像を
とても良い状態で目に焼き付けられて幸せだった。
その二つの出来事を照らし合わせて
「映画は公開週に見に行くべき」と心に刻み、
ついでに当時のmixi日記に書き残したものだったが、
今となっては懐かしい過去のライフハックとなった。
(が、その教訓は形を変えて「展覧会は初週に見に行くべき」となって生きてる)


でも、映画のネタバレ考察トークとか二次創作妄想を膨らませるのを
みんなで寄ってたかってわいわいやるのはメチャクチャ楽しいから、
やっぱり映画は早めに見に行ったほうが面白いよ。



2016年9月29日木曜日

みりんのふるさと

碧南市の藤井達吉現代美術館に河鍋暁斎展を見に行った。
離れた臨時駐車場に車を停め、美術館への道を歩いていると
どこからか米が炊けたときのような、食欲をそそる香りが漂う。
香りの元は美術館前の道路を挟んだ向かい側、
歴史と風格を感じる白壁に掲げられた「九重味淋」の看板。
もち米を蒸すみりんの蔵元からの香りだった。

香りに誘われるままに直売所へ吸い寄せられると、
そこは昔ながらの事務所の一角に設けられた実直な売店、の真ん中に接客係のPepper。
しきりに会話をせがんでくるPepper相手に軽快トークを見せないと
やっぱり売ってくれないのかな、と身構えてたら
ほどなく女性社員が応対に出てきてくれて、心の底から安心する。
看板商品である本みりん九重櫻と原料にみりん粕を用いたラスクを購入した。

実は先日、とある酒屋の前を通ったら
袋詰めのみりん粕が売られてたのを見かけて
そのうち食べるつもりでなんとなく購入したり、
飲用に向くみりんのレビュー同人誌を書店で見かけて衝動買いしたりと
なぜかみりんづいてる。
その本によれば私の住む地方の近隣は
江戸時代からの歴史あるみりんの産地らしくて
今でもみりんの名品を作る蔵元が多いとのこと。
和風料理ぐらいでしか味わう機会がなかったみりんだが
良い機会なのでいろいろ試してみると世界が広がるかも。
下戸だから舐める程度にしか味わえないんだけど。


2016年9月21日水曜日

キクをミル / 映画「聲の形」

映画「聲の形」を見た。
アニメけいおんシリーズ・たまこまーけっと・
たまこラブストーリーを手掛けた山田尚子監督の最新作で、
原作も週刊少年マガジン連載時に話題となった作品である。
映画化のニュースとスタッフ発表以来、封切りを心待ちにしていた。
しかし上映開始と仕事のスケジュールがうまく合わず、
間隙を縫って初日土曜のレイトショーに駆けつけたが、
初見では多数のエピソードを整理しきれずに表面的な感想ばかり生まれる始末。
それと同時に再び見たいという衝動と、
モヤモヤした思いを自分なりに消化したいと直感したので、
日を改めて再鑑賞する機会を伺っていた。
以下、映画本編を見た後の感想置き場につき
未見の方はネタバレ注意。



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2016年9月14日水曜日

名古屋ボストン美術館「俺たちの国芳、わたしの国貞」

名古屋ボストン美術館「俺たちの国芳、わたしの国貞」を観た。
春のbunkamuraザ・ミュージアム、夏の神戸市立博物館を経て、ようやく名古屋へ巡回。
初週の平日とは思えぬほどの入り具合、しかし大混雑とまでは行かず
じっくり見たい作品も少し待てば独り占めできるぐらいで、
ちょうど良い塩梅で楽しんでこれた。


今回の展覧会で目を惹かれたのは
「三代目尾上菊五郎の名古屋山三、六代目岩井半四郎、五代目市川海老蔵の不破伴左衛門」
「二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛」だ。

二代目岩井粂三郎の揚巻、七代目市川團十郎の助六、三代目尾上菊五郎の新兵衛


歌舞伎が大好きな毛利の若殿様が国芳や国貞に摺らせた特注品で、
版画とは思えぬほどの繊細な彫り線や、金銀特色も加わった上品な色使い、
さらには「空摺り」と呼ばれるエンボス加工まで施されており、
町人向けに量産された錦絵とは一線を画した技術がつぎ込まれてて、
それはとても見応えあった。

国芳の細部まで緻密に描き込まれた世界観とマンガチックに大胆な構図、
国貞の本流を押さえながらも女性の生活を機微に描いた作品、
それぞれを比較しながらも、どれも見ていて飽きない作品ばかりで
保存状態も良い物が並んでおり、とても楽しいひとときであった。


ところで、当時人気だったのはやはり歌舞伎だったようで
歌舞伎役者のブロマイド的な作品がいくつも並んでおり、
歌舞伎の知識も嗜んでいると浮世絵鑑賞は捗りそうだ、と見ながら感じてた。
例えば市川團十郎や尾上菊五郎といった留め名の大名跡から、
成田屋や音羽屋などの屋号、それぞれの得意とした演目…。
たまたま先日読んだ「歌舞伎一年生」が初心者向けに解説されてて
そこらの知識を一夜漬けできたのが今回とても役立った。
当時の庶民的な風俗や世相をダイレクトに取り込んだ消費アートだから
その手の知識も詳しくなれば、より楽しめる気がする。
そんな点でも勉強になった日だった。

2016年9月10日土曜日

葡萄の季節

ここ数年、夏の味覚の楽しみにぶどうが加わった。

子供の頃はどちらかと言えばそんなにぶどうが好きじゃなかった。
食卓に上がるのはデラウェアか巨峰のどちらかで、
食べやすいけど酸っぱさが先に目立って粒の数が多くて食べ飽きるデラと、
甘い大きいと親が有難がってた巨峰の方は
皮は剥きにくいは種はデカいは面倒だはで、好んで食べた記憶がない。
生活圏にコストコができたころに
輸入品のシードレスグレープを試しに買ったが、
確かに食べやすいけども甘さは薄いし割高感はあるし、
結局、繰り返し買うものにはならなかった。


転機が訪れたのは数年前。妻がある日、
「この近くの町はぶどうの名産地らしい。
 色んな種類のぶどうを育ててるんだって。食べたい。」
…と、つぶやいた。
ぶどうなんて巨峰かデラウェアかマスカットぐらいじゃないの?と
訝しみつつ調べてみたら、自分が知らないだけで、
世の中にはお米のそれ並みの品種が出回っており、
中にはゴルビーってソ連の書記長みたいなやつもいた。
(とか思ってたらホントにそれが由来だった)


そんな会話をしたのが10月ぐらい。
そのときは知らなかったがこの辺りのぶどうの旬は8月。
ということでその年はお預け。
翌年の夏がやってきた頃、満を持して美味しいぶどうを探し始めた。

やはり売れ筋なのか主流なのか、巨峰をメインに育ててるぶどう園が多く、
でもどうせならなるべく多種多様な品種を中心にやってるところに行きたいな、
だけどそんな都合の良いところあるのかな、と思いながら農道を車で走ってたら、
「ピオーネ」「ゴルビー」などと書かれたのぼりを発見。
誘われるがままに行ったら、栽培品種が十数種類、
さらに看板犬のワイマラナーとトイプードルが激烈可愛いという、
我々にとってのエルドラドのようなぶどう園に巡りあった。

よく冷えた試食用のぶどうは甘く美味しく、
種のないもの、皮ごと食べられるもの、などなど多種多様で、
いくつかの品種を見繕って買ったが、
どれもこれも眼から鱗が落ちる勢いで大変美味しかった。
特に我が家で人気が高かったのはシャインマスカットで
甘い・香りが良い・実がしっかりしてる・粒が大きい・皮ごと食べられる、と
「ぶどうってこんなに美味かったのか…」と思い知らされた。
これはリピートせねばなるまい、と改めて買いに行ったら、
シャインマスカットは比較的、早生の品種のようで既に取り扱い終了、
また翌年まで持ち越しで肩を落としつつ他の品種を買って帰ったこともあった。


結局、その年の夏は事あるごとに通い、様々な品種を食べ比べた。
いろいろな種類を食べることで食べ慣れた巨峰の美味しさを改めて認識したり、
流通ルートを経てスーパーに並ぶものより朝採れ新鮮な方が明らかに甘いこと、
食べ比べて自分たちの好みの食感や味の指標ができたのは貴重な経験だった。

旬が過ぎ去った秋冬頃からは翌年のためのぶどう貯金まで始める始末。
そして今年もその貯金を使い、ぶどうをたくさん食べられた。
シーズン初っ端に当たった大粒のシャインマスカットがマストだったなあ。


今年の旬も終わってしまったけど、また来年が楽しみ。お金貯めよう。