2019年3月24日日曜日

春の諏訪旅行その二 テクノロジーの素朴

一泊二日で諏訪地方を観光した春旅行。

【諏訪旅行その一】

【2:藤森照信建築群とベルビア時計台】
今回の個人的な目玉がこちら。
建築史家で建築家の藤森照信が設計した茶室と、
デビュー作である神長官守矢史料館が
見られる場所があると知ったのは、
前回の諏訪旅行から帰り、復習してたときだった。


藤森氏と言えば、芸術家・赤瀬川原平の
80年代以降の諸活動を語る上で欠かせぬ人物の一人だが、
出身地が茅野とは知らず。
設計した茶室が、実家の畑の一角に建築され、
内部は原則非公開だが(イベント時には公開あり)
外からの見学はいつでもできるとのこと。

さらに隣は、神代の時代から諏訪に住み、
諏訪大社上社の成立以後も神長官として
この地を永く治めた歴史を持つ守矢氏の敷地で。

守矢氏伝来史料の保存展示する史料館を
茅野市が建設するにあたり、建築史家だった
「お隣さんの照信ちゃん」に白羽の矢が立った次第。
その経緯は「タンポポ・ハウスのできるまで」に詳しい。


こちらは公共施設なので内部も見学できる。

なにはともあれ、
国内外にファンを広く持つ藤森照信建築の代表作が、
茅野で幾つも見れるという。
これを見逃す手はない。

駄文なんかよりも写真ですよ。
















上社の本宮と前宮の、ちょうど間に位置する神長官守矢史料館。
守矢氏の敷地内にあるので、手前の駐車場で停車して歩く。

短く刈り込まれた笹庭の奥には、手前へ緩く下る石葺きの屋根と
軽く焦げ目が入る木壁。それと荒々しく屋根を貫く柱たち。
上部には土壁を思わせる黄土色も見える。


外見観察だけで興奮する一同は、
ひとしきり写真を撮り終えてから入場。
わらを練り込んだ土壁を模した鉄筋コンクリート、
優しい曲面を描く吹きガラスの窓から光も差し込む。

入場料を受け取った係員氏が事務所から出て、
内部展示を一つずつ事細かに説明してくれる。
それなんて贅沢なサービス。
神長官と諏訪大社、それと武田家との関わりなどが
おかげで一通り頭に入る。





我々がキャッキャウフフと外観で盛り上がってたのも
丸聞こえだったようで、藤森建築についても解説が入る。
さらにお手洗い脇の窓を開けると、
その先には高過庵がフレームカット。
「好きなだけ見てきてヨシ」と許可を得る。
よっしゃあ。


守矢氏の敷地を抜けてあぜ道を進むと、
先程から見えていた高過庵の手前に、
10mほどの柱の間にワイヤーで吊るされた
横長の土団子みたいな巨大な固まりが浮かんでる。
空飛ぶ泥舟だ。
うおおおお。
そして高過庵のすぐ横に、薄い四角錐を寝かせたような低過庵。

もう全員夢中で写真を撮ったり見入ったりする。
入りたい。揺れてみたい。
いやぁこれは、体積とか質感とかディテールとかが、
それまで写真で見たイメージから
生で見ることでアップグレードされた思いだ。
すんげー。


建築物をひとしきり眺めると
周りの景色との溶け込み具合も見えてくる。
遠くには雪が残る南アルプスの稜線も入り、
眼下に茅野の街が広がってて。
ソーラーパネルの借景も意外と合う。


足元では柔らかい枯れ草の下から
新緑のふきのとうも芽吹いてて、春も顔を出してる。
快晴の空の下でこれらを見れて良かったなあ。
堪能した。もっと写真撮れば良かった。
次の目標は中で催される茶会に列席だ。
茶道習おう。


そして、平沢進マニアとしての旅の目的、
茅野駅前ベルビア。
こんなに早く再訪できるとは思ってなかった。

集合時間前にベルビア開店したタイミングで一回。
諏訪大社上社と藤森照信建築群を観光してからもう一度。
勝手知ったるもので、録音機材も回さずに気軽に聞けた。
カメラすら向けなかったので写真は前回訪問時のもの。

二度目なので時計のディテールも詳しく見られる。
白樺を覆う細い光ファイバーが、演奏中には繊細に輝き、
枝に止まる不思議なカラーリングの鳥もしっかり見る。
ここでしか流れない、平沢さんの忘れ去られたメロディを、
二十年来のヒラサワ仲間達と一緒に聞けるのは、
ひとつの思い出となるくらい嬉しい。





高さ5m近くのからくり時計は中央に白樺、
それを四本の金属柱が支えて、四面の時計盤が上部に置かれ、
その上には重ねガラスで作られた緑の山。

白樺と山なみは茅野の自然を表現しているとして、
銀色の柱が少し目立つなあ、精密機械産業のモチーフかな。
とか思っていたけど、ようやくピンときた。
御柱だ。
そうなると、これは精密機械産業も含む、
茅野市の要素をコンパクトにまとめあげたアートだ。


諏訪大社を拠点に一巡りした、
神長官守矢史料館、藤森照信建築群、
そして茅野ベルビア時計台。

興味本位で見てきたものばかりなので
もちろん表立って共通する関連性は無いけれども、
それらの根幹には諏訪大社に端を発する、
この地の人々の心深くに宿る
宗教的、呪術的なシンボルのような何かが存在し、
今日見てきたものたちは、
それぞれの作家、開発者、職人などの依代を濾過して
象られたカタチなのかも、…などと、こじつけてしまった。

諏訪の地の心が露出してるのかもしれない。

【諏訪旅行その三】





0 件のコメント:

コメントを投稿