2018年4月22日日曜日

秘密と観察/リズと青い鳥

映画「リズと青い鳥」が公開された。
アニメ監督山田尚子の、4本目の劇場用長編アニメ作品だ。

「けいおん!」や「たまこ」の頃ならいざ知らず、
山田尚子監督作品が凄いのなんて、今の時代、
映画館まで期待で胸を膨らませて足を運ぶ人間には、とっくにバレている。
それでも今回も、語らずにはいられない衝動が溢れてくる作品だった。

このような衝動を封切り週に味わえる作品と、巡り会えた贅沢が嬉しい。
そんな経験を何度もさせてくれる山田監督や
本作品の制作スタッフ、キャスト、『響け!』製作委員会、
配給元の松竹に感謝しながら、漏れ出る感想をネタバレ前提で書き残しておく。









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(以下、画像は公式企画『リズと青い鳥』期待&感想投稿キャンペーンより引用)
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山田尚子監督作品における、人物描写の多層構造は今回も健在だ。
物語は主人公、鎧塚みぞれと傘木希美の二人を中心に据えて、
ときに作中童話「リズと青い鳥」の世界に暮らす少女二人と
主人公たちを重ねながら、二人の関係の変化と成長が主題として描かれる。

しかし、部長の吉川優子や副部長の中川夏紀など、脇役の動きに注目すると、
彼女たちを主人公とする別の話も顔を覗かせるような、多層な世界の構造が
エッシャーパラドックスのように浮かび上がる。

もちろん、「リズと青い鳥」は、世界観と舞台を同一とする
「響け!ユーフォニアム」からのスピンオフだし、
そちらが吹奏楽部の群像劇として各キャラを掘り下げているという土壌からして
彼女たちに別の話が用意されてるのは当たり前だ。


しかしそれを一旦すべて忘れて「リズと青い鳥」だけに合焦しても、
つまり、一連の「響け!ユーフォニアム」を一切知らなくても、
みぞれと希美の話のそばで、優子や夏紀、剣崎梨々花とダブルリードの会、
それに黄前久美子と高坂麗奈(→「響け!ユーフォニアム」本編)の、
それぞれが主人公となった話も、
「リズと青い鳥」作中の枠だけからでも透かし見える。

「映画 聲の形」が石田将也の一人称の話であったのと同時に、
西宮硝子や植野直花に焦点を定めた彼女たちの話を潜ませてたように、
立体感のある人物描写と作劇だ。


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主人公がみぞれと希美の二人だと前述したが、
広義の意味においての主人公ではないのかもしれない。
もちろん、童話世界のリズと青い鳥が主人公でもない。

この作品はナレーションがなければ
登場人物からのモノローグも聞こえてこない、
セリフと演技、演出と劇伴と効果音だけで構成されている。
特に希美の方は、本心なんてこれっぽっちも喋ってない。

冒頭で生徒たちが登校して以降、
舞台は北宇治高校の屋内各所でほぼ完結している。
画面の色合いも、白と青を基調としたトーンを通して表される。
まるでガラス越しに彼女たちの生活を見つめてるかのようだ。
そのシンボルとして指し示めされてるのが、
みぞれの世話するフグと水槽だろうか。
えさはやれてもさわれない。干渉できても触れ合えない。

> 「一緒にのぞき見して頂けないでしょうか。」
> (カウントダウンコメント:山田尚子)

> 「ガラスを覗いたような透明感」
> (同:篠原睦雄)

> 「二つの線/箱庭の中の日々に差す西日/黄金色に反射する横顔。」
> (同:Homecomings)

> 「映画に登場する譜面立てやビーカー、ガラス窓やリノリウムの床のように
>  息を潜めてそっと見守ってあげてください。」
> (同:牛尾憲輔)

これらのコメントに共通した点も、鑑賞を終えた後なら共感できる。

この作品に、真の主人公がいるならば、
彼女たちの容れ物である北宇治高校なのかもしれない。
幾年もかけて限りない生徒たちを迎え入れて送り出した、
器としての学び舎が、今日も彼女たちを覗き見て守る。


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登場人物たちに、それだけ徹底的に屋内だけで過ごさせるならば、
対照的に屋外で行われてる描写には、すべて意味がありそうだ。

外は明るく、鳥が窓をつねに横切る。
校舎の陰では後輩たちが楽しげに合奏してるのに、
屋内に籠もる彼女たちは仄暗く抑調されている。
校舎や水槽というシンボルは、童話「リズと青い鳥」の家や籠とも通じる。

あるシーンで希美は校舎を抜けて藤棚へと行くけれど、
籠に見立てた藤棚のフレームに収まるかのように、
明らかに、籠の中から飛び立てずに居る。
そのシーンからどうふるまうのかはご覧になった通り。



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青い鳥、飛ぶ鳥、剥製の鳥、鳥の羽、ゆで卵。
シンボルが作中にこれでもかと登場するのも、山田監督作品ならではだ。
そのシンボルが何をイメージするかは、作中でふんだんに描かれてたが、
鳥には「解放」の意味があるという。
いずれ学び舎から飛び立つときまで、籠の中で過ごす彼女たちを、
鑑賞者は外からただ眺めている。
シンプルな構造のシンプルなお話だ。
それを、執拗なまでの執念で描写し、フレームへと収める。
山田尚子監督の作家性とフェティシズムが、これでもかと発揮されている。
醍醐味。



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「響け!ユーフォニアム」は黄前久美子の一人称で表されている群像劇だ。
モノローグもふんだんに語られて、物語全体の目標に対して、
部分的な課題を解決しながら進んでゆき、目標達成を目指す。
カタルシスある王道的なつくりの物語だ。

対して「リズと青い鳥」の、物語としての目標はなんだろうか。
みぞれは依存先の希美を離したくない。
希美は後輩たちとの交流を深め、日々を飛び回る。
リズは新しい友達を受け入れて、青い鳥もリズとの暮らしを楽しむ。

それらの殻をすべて割り、中身を混ぜる罪悪感が、
「リズと青い鳥」の、物語としての目標のような気がしてならない。

「響け!ユーフォニアム」はカタルシスで、「リズと青い鳥」はイノセント。
しかしクライマックスで、ひととき起こるカタルシスは圧巻だった。
色鮮やかな童話世界と抑調した高校青春、
瞬間、混じり合ってから鳴り果てる。


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クライマックスの余韻が果てぬ中、実験室で種明かしされるシーン。
西日がみぞれと希美に光と影を与える。
ただ向かい合わせに、みぞれは立ち、希美は棚に腰かけてるだけなのに、
背中と身体に寄った視点を使い分けることで、
画面に動きもなく静かなまま、みぞれにも希美にも、
打ち明けるつもりすらないような心の光と闇までをも映し出す。
そして重なり溶けてゆく。


「繊細な青春の疼痛」(カウントダウンコメント:牛尾憲輔)が
鑑賞者の前に露わにされる、せつなくてしびれる演出だった。


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みぞれと希美、リズと青い鳥のミスリード、
あれだけはいただけなかった。
もう少し気持ちよく騙してほしかったのが正直な感想だ。

みぞれと希美、リズと青い鳥の重ね合わせと対比は、
冒頭の希美の発言から始まって常に、鑑賞者をミスリードへと誘うが、
「響け!ユーフォニアム」を観た人間からすると、みぞれの凄みは既に知ってる。
みぞれとリズ、希美と青い鳥は、最初から重ねられなかった。


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公開日の前に、監督舞台挨拶つき先行上映会にて観る機会があった。
そのとき感じた言葉にならない気づきを、二度目の鑑賞となる公開日の上映で
いくつか掬い取れて心に残せたのが、上に書いた感想だ。

見逃したものはまだたくさんあり、
それはそのまま流れ過ぎてくけどそこには在って、
掬えたものだけでも思いが止まらない。
なんでこんな繊細で羽毛のような映画を撮れるんだろうか。

娯楽性が薄いのは確かだが、作家性の披露とエンタテインメントのバランスは
揺らぎながらも成り立っているような印象を受ける。
こんな作品を創り上げて送り出すのが許されるような実績を、
掴み取ったから成し得た業だろう。
異端の正統という言葉が、ふと頭をよぎる。

ファンは監督の新作に勝手に期待して、
監督はその期待を軽々と越える作品を創り上げる。
その関係は「リズと青い鳥」の登場人物と、
それを観察する鑑賞者に似てるのかもしれない。

京都アニメーションと松竹の看板監督という立場はしばらく揺るがないだろう。
これからも山田尚子監督の新作をコンスタントに観続けていきたい。
まずは「リズと青い鳥」の、たくさんの見逃したものを新たに掬うために
再び映画館に足を運ぼうと強く思う。
凄い御伽話でした。





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